多くの人間を退職に追いやり、「すべての人の幸せに奉仕」・・・と書いていた、ある経営者。

『モノゴトは、あらゆる角度から見なければならない。

そして、それぞれに言い分があり、立場があり、守るべきものがある。だから、どちらが悪で、どちらが善とは判断できない。

社会は複雑だから、力の強い者の思惑によって弱い者の人生が翻弄されるのは致し方ないものだ。

ある大きな目的を達成するためには、多少の犠牲はやむを得ない、大きな目的を達成することが、ここにいる多くの社員の幸せに寄与することになるのだ。』

これらは、私の周りの人間が言っていた、忘れることのできない言葉たちです。

なぜ忘れることが出来ないのですか?

怒りが抑えられないから。

私は、労働トラブルに巻き込まれて、生活と人生設計が大幅に狂い、平穏な生活を一気に失った労働者をたくさん見ました。

そして、私自身も、そのうちの一人です。

・・・忘れはしない。

労働トラブルで生活の基盤を一気に失って落胆する労働者に向かって、大事のために小事を捨てとい思っていてくれ、と言い切った上司を。

不当な行為に対し、身体を震わせながらこん身の反論をした非正規従業員を、無関心の従業員と一緒になって、厄介ばらいのごとく追い払った部署責任者。

社員のために盾になって不正を告発した労働者を、無理難題な配置転換で追いつめ退職させ、揚句に「辞めさせ完了宴会」をした部課長たち。

そして、最も許せない言葉・・・

多くの人間を、解雇という手段よりも陰険な手段で自主退職に追い詰め、そしてホームページで『すべての人の幸せに奉仕』などと言っている、冷酷で思いやりのない企業経営者。

ほんとうに無念で残念だけど、この人間を懲らしめることはできない。

眼から血の涙が流れるのではないか?というくらい、目を真っ赤にして、悔しくて、そして我慢して貯めた将来のためのお金もすべて失くして、フラフラになって去っていく人間たちを見て、何とも思わない訳がない、この無力な私よ、せめて・・・・何かを感じろ、何かを!

人生の目標はただ一つ。

人助けではない。お金ではない。この経営者みたいに、野望など、ありえない。

弱い者いじめをする人間に、無人の野でないことを思い知らせる

復讐だ、それは?

どうとってくれても構わない。人はいろいろな考え方をするのだろう?

人を苦しめた人間には、何をしてもかまわない、などとは言わない。

ただ、平穏に、ささやかに生きている人間が、強者の思い上がりや野心によって泣かされるのを見るのは、もう嫌なんだ。

すべては、傲慢経営への悲壮な抵抗のために。

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ブラック企業と戦う労働者のための「孫子の兵法」活用塾

労働者がブラック企業に負けないための「兵法的戦い方」講座

ブラック企業に負けないための「戦略的思考」の用い方



交渉の場で行われる『脅迫』の撃退法(5)~相手が話し合いに応じたら、ともに建設的な解決案を出し合う

労働紛争における話し合いにおいて、相手が脅迫をしなくなり、かつあなたに話をする姿勢を見せるようになったら、大きな進展だと言えます。

ここで焦って、こちらの意見を押し付けるようなことはしないこと。

大事なのは、こちらの要望も言いつつ、相手の要望とこちらの要望の両方を満たすような建設的な案を一緒になって生み出すことなのです。

相手の要望ばかり受け入れたのでは、何のために立ち上がったのかわかりません。しかし、こちらの意見ばかりを強硬に主張するのでは、再びケンカ腰な交渉となってしまいます。

話し合いに乗り気になった相手と、建設的な対話を継続していくための留意点を以下に示しましょう。

◆ 一緒になって、代替案を生み出すこと。

◆ 相手の合法的な要望に対しては、快く応じる姿勢を示すこと。

◆ 相手の人格を否定しない。焦点は不当な行為のみに絞る。

◆ こちらの要望を、しっかりと代替案に入れてもらう。そしてそれは、相手の勇気ある譲歩によって得られた形をとり、そしてその勇断に深い尊敬の念を示すこと。

・・・これらの点を常に注意し、話を進めていきます。

もちろん、これらの姿勢を示しても、まったく話にならないケースもあります。しかしそのような相手ならば、脅迫をし続ける姿勢すらも崩さないのがほとんどです。

ですから、話し合いに応じる姿勢を示した相手ならば、かなりの確率で、以上の姿勢を示したこちらとの話し合いに、前向きな取り組みを示すでしょう。

話し合いに応じる相手である以上(形だけの交渉参加の相手は除く)は、こちらも攻撃的な姿勢は慎まなければなりません。

労働トラブルに対し戦う決意した目的を忘れないようにしましょう。

このトラブルを解決したいからです。解決するための一番有効で迅速な手段の基礎は、「建設的で真摯な話し合い」です。

この段階で、互いが納得できるような代替案を共に生み出すことに集中しましょう。

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ブラック企業に負けない!労働者のための交渉術



交渉の場で行われる『脅迫』の撃退法(6)~相手が脅迫する姿勢を崩さない場合はどうするのか

こちらがいくら柔軟で紳士的な対応を心がけても、相手が一向に姿勢を崩さない場合がかなりあります。

今日はそのような場合にとるべき手段を講じたいと思います。

使用者が脅迫する姿勢を崩さないということは、聞く耳をまったく持たない性格か、あるいは、脅迫して圧迫することで、労働者の反発を素早く黙らせたい、という願いがあるからか、と推測できます。

聞く耳を全く持たない場合は、交渉の継続は極めて難しくなります。しかしこの場合であっても、全面戦争に突入する前にしておきたいことがあります。

それは、『脅迫の姿勢を崩さないがために話し合いができないこと』がもたらす結果を、相手に淡々と伝えることです。

「もしこのまま『話し合い』を望むことで、社長が私を懲罰にかけて私が解雇されるならば、他の場所に話し合いの場を求め続けることになります。そしてそれもかなわなかったのなら、今度は司法の場で、第三者に判断してもらいます。」

という感じです。一見すると、脅迫めいてますが、こちらは「正当な手段を守るためにこれから採るべき段階」を相手に淡々と伝えているだけであります。

この例の社長のように、~したならば解雇してやる、という非合法的な手段をちらつかせての心理的圧迫は一切用いません。合法的な手段の伝達が、非合法的な行動をとる相手の心を結果的に圧迫しているだけなのです。

この場合の重要な点は、「これから採るべき段階を、淡々と、事実ありのままに伝える」こと。

そして、期限を定めておきます。「この事実の伝達に対する意思表示を、○○日までに回答ください。」と伝えることです。それによって、ダラダラと紛争を長引かせることを防ぎます。

加えて、「今回のトラブルの原因を解決したいだけであって、会社と戦いになることは決して望んでいない。誰も憎いわけではない。話し合いで解決したい。」というように、あくまで話し合いで解決したい意思を伝えておきます。

・・・脅迫姿勢を崩さないような強硬な相手だからといって、いきなり全面戦争に突入しない。

どんな場合でも、そしてどんな段階であっても、常に引き返すことができる可能性を残します。

可能性をゼロにすることを、労働者側がしてはならないのです。

なぜなら、我々労働者側はほぼ常に、労働紛争においては不利な立場なのだから。武と武が直接ぶつかり合う「戦」では、勝ち目は薄いのです。

話し合いこそ、労働者が最も被害少なくトラブルを解決できる手段だと心得るべきです。

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ブラック企業に負けない!労働者のための交渉術



交渉の場で行われる『脅迫』の撃退法(7)~通告後も脅迫を止めないときは、通告通りの行動をとる

この段階まで来ると、非常に残念な結果になったとも言えるでしょう。

こちらが建設的な対話による解決を望んでも、相手は「脅迫」という意味のない愚かな交渉態度を崩さなかった。この事実は、しっかりと受け入れないといけません。

こちらの穏健な態度に対して硬い姿勢を崩さなかったのには、変えられない理由があるのだと考えます。

もちろんその理由は、こちらが思わず納得できるような、共感の持てるものではほとんどないのです。

多くの場合、労働者を下に見ているがために、自分のした行為に反発した労働者が気に入らなくてたまらないケースがほとんどであります。

労働者も、社内での生活が長くなれば、給料も高くなるし、言いたいことも言うようになる。そういう点の一つ一つが、使用者にとって見逃せなくなることは、よくあることです。

ですから、よほどのことがない限り、我々労働者側は、 交渉の場で行われる『脅迫』の撃退法(6) ~相手が脅迫する姿勢を崩さない場合はどうするのか の中で通告したとおりの行動をとります。

こちらがお願いした回答期限が切れたと同時に、直ちに行動に移します。

すぐに行動に移すことの意義は、こちらの断固とした決意をしっかりと相手に示すこと。

そして行動に移しつつ、「建設的な話し合い」にいつでも応じる旨を伝えます。

いつでも話し合いの道は残しておきます。

通告通りに実行するときも、決して相手を感情的に逆なでしてはなりません。目的はあくまでも当労働トラブルの解決だけなのです。

人と人同士が憎しみ合うのは、すべての可能性が絶たれた後でも構わないのですから。

話し合いによる解決の可能性を残しつつ、行動は迅速に遠慮なく、かつ合法的に。

いったん振り上げた斧は、躊躇なく振り下ろすことで、うまくスパッと処理できるのです。

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ブラック企業に負けない!労働者のための交渉術



『語り継ぐこと』(元ちとせ)~夕暮れの湖岸線か海岸線で聴きたい

私はいつも自転車で旅に出ると、『漂う』という言葉が似合うくらい、さすらい続けます。

自分の中で、「だいたいこのくらいの時間に帰ろう」と考えても、あそこでたそがれたい、こっちで物思いに沈みたい、と考え、あっという間に時間が過ぎていくのです。

最初の目的もどこへやら。ただ気のおもむくままにあっちの山、こっちの海、そっちの歴史旧跡とさすらい続けます。

それが楽しいのですね。まるでこの瞬間だけ、その土地で巡り合う多くの人たちを尻目?に転々とする、アニメや映画のヒーローみたいな気分になることができるのです。

その土地に行くと、本当にいろんな人がいる。当たり前と思うかもしれないけれど、逢う人逢う人、皆初めて見る知らない人ばかり。

よくもまあ、こんな狭い日本に、これだけの人がいるものだな、と感動してしまうのです。

そして偶然逢ったこの人たちも、この土地で、多くの習わしや方言などと共存して生きてきたのだなぁ、とロマンティックに思うのです。狭い国土だけど、世界は広い。ワクワクしてきますね。無限の世界を、ここでも感じるのです。

そんな旅で必ず思い出し口ずさむ歌があります。今日のおススメの歌ですね。

奄美大島出身の元(はじめ)ちとせさんの、『語り継ぐこと』です。

  語り継ぐこと

この歌は語り継がれる、また語り継ぐ、という人間が人間らしいアナログな部分にスポットを当て、それを独特の歌声で高らかに謳うものです。

あのこぶしがかかったようなかすれたような声の元ちとせさんの声が最もぴったし合った歌だと私は勝手に思っています。

この歌を聴くと夕暮れの海を思い出します。ジャケットが夕暮れの海だから?いやいやそれもありますが、やはり物悲しいイントロ部分がそう思わせるのでしょうか。

こんなにイントロ部分が好きな歌もそうはありません。イントロにも聞き耳をたてて聴いてもらいたいです。

このイントロを聴きながら、物寂しい海岸線や、湖岸線を、自転車で漕ぎつつ訪れた土地を去ってみたいです。

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労働基準法違反・職場いじめで自分に負けないための考え方集



『若いヤツの持つ夢にはリミットがねえ!』 ~ランボルギーニに乗りたい

思わず叫んでしまったのです。

今日、何かの理由で今まで働いていた場所を辞めてアルバイトをしている20代前半の青年と話をする機会があったのです。

話をしていて、思わず未来についての話になりました。

私は、日本人的正当コースを外れ、何かしらの野心や希望・夢を持った人間と、よく話す機会があります。今日もそんな機会の一コマでした。

単刀直入に聞いたんです。

それだけ長いこと働いていた場所を辞めたのだから、何か心の奥にくすぶっているものがあるんじゃないのか?目標や夢を描いているのでは?と。

そうしたら、いきなり、

『ランボルギーニに乗りたい。それだけです。』

と恥ずかしがりながら、しかし堂々と。

私は脳天をぶち抜かれましたね。

それからというもの、この時間まで、ずっとそのことをかんがえていた。

なんてことだ、

若いヤツが持つ夢には、リミットがねえ!

と思わず叫んでしまった。

大人になってから思いつく夢って、妙に一般的であったり、遠慮がちであったり、人の意見を気にしたり、組織にとって優等生的であったり。

子供の時のような夢を語らなくなるような気がする。

『正義の味方』とか、『総理大臣』とか『スポーツ選手』とか・・・・そんな話は聞こえてこなくなる。

そんな日々の中で聞いた、『ランボルギーニ』の夢。

今日はずっと、ランボルギーニ、ランボルギーニ、とつぶやいてしまっていた

あなたは、少年時代に、心奪われた夢や希望を、今でも持っていますか?覚えていますか?

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労働基準法違反・職場いじめで自分に負けないための考え方集



『義を見てせざるは勇無きなり』~孔子 勝馬に乗る同僚は意気地なし。

労働紛争で、なぜ不当な行為に立ち向かう勇気ある労働者が孤立してしまうのでしょうか?

いつも苦々しい気持ちで考えるのです。

周りの同僚らが、表立ってだけならまだしも、心の中でまで、その労働者を遠ざけるからです。

理由のほとんどがそれだった。

心の中から、立ち上がった労働者を遠ざける同僚は、一体どのような価値観・善悪判断基準をもっているのだろうか?

人間は十人十色、誰一人として同じような考え方を持っているのものはいない、とよく言われている。

しかし、不当な行為をされて立ち上がり、それに対して卑劣な手段で退職に追い込まれたり、イジメを受けたりすることが、正当なことだと考える人間はいるのだろうか?

恐らく、『正しい』 『立ち上がった結果だから文句を言うな』 と厳しい意見を言う人間は必ずいるだろう。

しかし、多くの人間がそういう考え方なのだろうか

恐らく、私の経験も含めて、多くの人間は、巻き込まれるのが嫌で、心の中からも遠ざけてしまうのだと思う。

私は、その理由を、致し方ないでは片付けたくないのです。

なぜなら、ターゲットにされている労働者の痛みを、放ってなどおけないのだから。

考えてみてほしいのです。

その労働者にも、愛する存在があるのかもしれない。子供、妻、親、兄弟、尊敬する人、恋人など。

その愛する者たちのために、わが身を労働に投じているのです。

また、愛する者がなくても、心の中に大きな誇りや信念を持って働いているのかもしれない。

そこに居場所を見出し、その仕事にささやかながらやりがいを感じているのかもしれない。

労働紛争は、そんなすべてのたいせつなモノを、根こそぎ奪ってしまう一大事なのです。

そんな一大事にさらされている労働者を、我が身かわいさのために見過ごすことなど、できない相談であります。

中国の偉大な賢人、孔子は、

『義を見てせざるは勇無きなり』

と言いました。

そこに人間が本来持っている善の心を怒りに導く不当な行為があったとしても、立ち上がらなければ、「義を見てせざる」ではないのだろうか?

「勇無きなり」はとても辛辣です。勇気がない、とハッキリ断言しています。

でもその厳しい指摘を聞いて、少しでも思い当たるフシがあるならば、私たちは、少しでもいいから、義を見て行動する自分に、近づくべきではないのだろうか

労働紛争は、明日は我が身、なのです。

その時になって、孤立とその原因をしみじみ味わう前に、今ここで、義を見て行動を起こすトレーニングをしておきたい。

私は、常々そう思っています。

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ブラック企業と戦う労働者のための「孫子の兵法」活用塾

労働者がブラック企業に負けないための「兵法的戦い方」講座



ハンニバルとヴァルロの、カンネーの戦いから学ぶ。勝負前からローマ敗北の原因は作られていた。

以前紹介した、ポエニ戦争におけるカンネーの戦い。

後に多くの戦略家がその戦いを参照にしたり研究対象とするなど、ハンニバルの巧妙な戦術が光る戦いでした。

しかし、この戦いではハンニバルの戦闘上の戦術ばかりがクローズアップされていますが、戦いの帰趨を決したのは、それだけではありません。

簡単に、ですが、少し触れてみたいと思います。

当時ハンニバルの軍事的な優位性は明らかでした。

そのころのローマの指導者だったフェビアスは、ハンニバルとまともに戦っても勝ち目がないことを知っていたので、直接対決による決着は考えておらず、外交上の戦略などでハンニバルを間接的に追い詰めようとしたのです。

しかしローマ市民は、決戦を避けるフェビアスの姿勢に不満を感じ、彼を再任しなかったです

そこで指導者として選ばれたのが、のちにカンネーの戦いで大敗北を喫するヴァルロ。

彼はその血気盛んな性質ゆえに、戦いへの道のりを急ぎ、かつカンネーにおいてもメイン戦法として数に任せた中央突撃を敢行し、結果完全包囲作戦による壊滅を招きます。

歴史上名だたる戦いの陰に、このような事情があったのですね。

もしローマ市民があの時フェビアスを再任していたら・・・歴史にもしもはいけないのかもしれませんが、ローマの敗因を分析するうえでは重要です。

労働紛争において、このことは活かすことが出来ないだろうか?

直接戦って勝ち目がない場合、フェビアスのように、土台を築いたり、直接攻撃でない間接的な戦略で、使用者・会社の戦力や戦闘意欲を抑えることは可能ではないだろうか?

そのことを考えるのも有意義だと思います。

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労働者がブラック企業に負けないための「兵法的戦い方」講座

ブラック企業に負けないための「戦略的思考」の用い方



「生兵法は大けがのもと」という前に、あなたの抱えるケースに合わせて熟考・行動してみる

「生兵法は大けがのもと」

有名なことわざですね。このブログが、労働者のための兵法をテーマにしているので、少し触れてみたいと思います。

ここでいう「兵法」とは、どうも日本の剣術などの武術を指すようです。日本では、「兵法」というと、剣術を示すようですね。中国などでは、兵法はそのまま兵学や軍事学を指すようですが。

このことわざ、中途半端な技術に頼って事を起こすと大失敗する、という意味です。

確かに参考になる教えでもありますが、あまりにこのことわざの姿勢で人生に臨むと、何もできない人間になってしまいそうです。

私は、失敗をしてもいいから、チャレンジしてみたほうがいい、と考えます。

このブログでは、兵学をもとにした話をよく記事にします。その反応として、素人が兵法なんて・・・と冷ややかな反応もあるのは事実です。

しかし、兵法などというものは、その知識や教えを、実際の場で使ってみないと分からないものです。

失敗を恐れ、大けがのもと、という考えにビビり、何もしなければ、いつまでたっても「経験に裏打ちされた兵法の使い手」にはなることができないのではないでしょうか?

このブログを読んでくださる方の中に、今まさに労働トラブルに巻き込まれている方、もしくは巻き込まれそうな方は、いくつかの兵法書を読んでほしいのです。

代表的な兵法書は、孫子の兵法でしょうか。

孫子の兵法を最初から読んでいけば、あなたの抱える紛争に応用できそうな箇所が必ずあるものです。

孫子の兵法は抽象的で具体例に乏しい、という意見が聞こえますが、そうだからこそおすすめをするのです。

何度も読んでみて、あなたの例にあてはめてみるのです。

あなたの例に当てはめて考えるだけでも、十分行動を起こしたことになります。ほとんどの人は、兵法の字面だけを読み、なんとなくわかった気になっているのが現状です。

些細なことでもいいのです。

例えば、勤務先にどうすうこともできない傲慢上司がいるのならば、その人間を黙らせる方法を真剣に考えてみる。いくつかの手段をリストアップします。

そこに挙げる黙らせるためのいくつかの策は、実現することが困難なものでもいいのです。

兵法の考え方を参照にして、自分なりに考える。自分で考えることが必要なのです。行動はそのあとです。考えたら行動を起こします。結果はうまくいかなくてもいい。失敗と成功をえて、ひととおりの社会人になるのでしょう。

生兵法を生きた兵法に変えるためには、行動に移すこと。

その瞬間から、「生兵法」は「兵法」に変わっていきます。

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ブラック企業に負けないための「戦略的思考」の用い方



「ソウル(魂)さえ燃えていれば問題ない」

前の会社の同僚の言葉です。ソウル(魂)を重視するミュージシャン希望の青年です。

お金が無かろうが、名声が無かろうが、彼自身のソウルさえ熱く燃えていれば、いつでも夢を追うことが出来る。

寝ているときでも、夜でも、食事中でも、ソウルさえ燃えていれば、突然ひらめきが来る。熱くなれる。

彼はそう、私に語ってくれました。

彼は今どうしているのでしょうか?でも結果はいいのです。彼がソウルを煮えたぎらせ、周りにいた私たちに影響を与えていたのは間違いなかったのですから。

彼が今どのような仕事をしていようと、そして音楽関係の仕事についていようと、ミュージシャンになっていようと、影響をいただいた過去は無くならない。

あの時の熱いまなざしは、会社の不当な行為に怒りを覚え、かつそれでも反論できなかった自分の弱い魂に、とてもまぶしく映ったのです。

彼の口癖は、「今でもソウルは燃えているか?」でした。

聞いてみると、彼のオリジナルではないらしい。少年誌に連載されていた音楽関係の漫画の中で、主人公の友人が言った言葉らしい。

彼はその言葉を、常に自分に言い聞かせているらしかった。

ソウルの内容について、いろいろと語ったことがある。

彼のいいところは、燃えるべき内容は何でもいい、とのことでした。

彼自身、音楽に燃えることは、周りの嘲笑を買うだけだったとか。意外な事実です。しかし考えてみれば、大人の意見なんて、「ミュージシャンなんて簡単になれるわけがない」という内容がほとんどなのは想像がつきます。

彼はそんな苦い記憶もあり、せめて何かに燃える人間の心は、理解してあげることから始めたい、と言っていました。

あの若さ(当時)で、なかなかそこまでは考えられません。

労働紛争は、使用者と労働者の意見のぶつかり合いの場だと言っても過言ではないでしょう。

そこで常にソウルを燃やす。そして相手の意見に熱いソウルを感じたならならば、こちらも誠実に、しかも真剣に話を聞く。

建前や社交辞令は要らない。

私も、迷った時は常に、問いかける。

『私よ、今でもソウルは燃えてるか?』

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