月別アーカイブ: 2024年3月

『紙兎ロぺ』のアキラ先輩に学ぶ「心で生きる」生き方

たまたまインターネットで、『紙兎ロぺ』というものを見つけました。短編アニメで、紙の兎と紙のリスが主役です。

今は目ざましテレビでも放送されてるそうです。

この二人、実にささいなことを話し合ってるのですが、その内容や言い方がささやかに面白かったです。

意外と世の中を裏から見てるところがあるし。

紙リスのアキラ先輩の、心のままに動くところがなんともまぶしいのです。

心のままに動く、といっても、高尚な目的に向かって効率よく動く、とか、よくビジネス本に出てくるような内容を期待しないでください。

スーパーボールが欲しい、とか、アイスを食べるとか、ボウリングのピンは何でできているのか見に行く、とか、そんなささいなことばかりです。

そういう心そのままの行動が、まぶしい。

例え夏休みの自由研究が残っていようが、興味のあるものを発見すると、途中であろうがそれを確かめに行く。

感情に素直であり、短気で面倒くさがり屋だけど、妙に人懐っこいような気もします。

彼は周りから嫌われているのかどうかは分からないけど、どうも嫌われてはいないようです。

確かに先輩風を吹かしてはいるけど、不快にさせるような感じもなく、憎めないですね。

・・・最終目的を実現するために小目標を実現していく、というような、いかにも効率や実用的?なことばかりを考えてしまう現代の風潮には、とにかくまぶしい。

昔を思い出します。

理由もなく、用意もなく、ただ心のままに、後先をあまり考えずに行動した記憶はあります。

でもそれは、かなり昔の話です。高校の時には、すでに失くしていた。

雨が降る可能性があろうが、寒かろうが、暑かろうが、着替えをもってなかろうが、お金が300円しか入ってなかろうが、自転車ひとつでいろんな場所へ行ったのです。大した理由もないのに。

紙兎ロぺという漫画は、そういうことをかんがえる趣旨のものではないだろうけど、見ていてふとそう感じました。

もちろん、見ている時間は、そのささやかな笑いに、ただただ身を任せて笑っていただけでしたけど。

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労働基準法違反・職場いじめで自分に負けないための考え方集



『訴訟をビジネスだ』という他人事の意見。ビジネスじゃない。

訴訟に関する本を読むと、よく出てくる言葉があります。

『訴訟はビジネスだ』という言葉です。

「ビジネス」という視点で考えると、どこまでが利益があり、どこから利益がなくなるか?という尺度で見がちになります。

でも、労働紛争解決のために裁判を考えている人は、利益を上げるために裁判を起こすわけではないと思うのです。

紛争当事者たる労働者のみなさんは、正当な権利を実現するために、またはやられっぱなしの不当な扱いに一矢報いるために裁判の道を選んでいるのです。

そこには、「もはやこれしか手段がない」という追いつめられた状況があります。ビジネス感覚で、いろんな選択肢の中で、などという余裕な状況ではありません。

裁判を利益という基準で見ると、なんのために立ち上がったのか?という一番重要なことを見失ってしまうかもしれません。

手数料がいくらで、弁護士費用がいくらで、訴額がいくらで・・・と考え、労力と勝ち取るお金を比べて割にあうかどうかで裁判を起こすかどうか判断をする。

その方法はスタンダードですが、この方法をとらない人もいます。そして「とらないこと=間違っている」とはならないでしょう。

たとえ裁判での勝機が薄くても、あえて踏み切る人はいます。

不当な行為をされ、精神的・経済的な打撃を受けて、憎しみや怒りで気持ちが狂いそうになったとき、その場から前に進むためにも、割に合わなくとも裁判を起こすケースもあります。

そんな時、周りの人間(例え専門家であっても)が「割に合わないからやめておいた方がいい」と言っても、そんな言葉が果たして怒りでいっぱいになったその人の心に届くでしょうか?

その人は、燃え上がった自分の心にケリをつけるために裁判を起こすのです。お金のためじゃない!

「訴訟はビジネスだ」などという、いかにも安全な立場から語る弁護士のような言葉は、労働トラブルで心を引き裂かれた労働者に、何の希望も癒しも与えないでしょう。

裁判を起こすかどうかの判断は、本人が自発的かつ戦略的に紛争解決手段を考え、大切な家族との話し合いを参照にしたうえでのみなされると思います。

その唯一の判断過程によって生み出された結果、裁判が割に合わず「負けた」としても、心の中で納得し、次の世界に進めるのならば、ビジネスなど超越して、「勝った」といえるのではないでしょうか?

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労働組合・ユニオンを活用してブラック企業と戦う!

裁判所を利用してブラック企業と戦う!



怒鳴る上司は、イライラして感情に流されているだけ。叱られる側への思いやりは見られない。

職場での上司に対する悩み、いろんな話を聞きます。

ささいな愚痴から、とんでもなく深刻な話まで。でも上司に対する悩みとして最も多いものが、心無い言動に対するものです。

私も長いこと?会社員として働いてきたので、上司に怒鳴られたことは何度もあります。また、同僚が怒鳴られているのも何度も見ました。

それらを見て思ったのですが、怒鳴られることは、怒鳴られる側にプラスの感情や結果をほとんど生まない、ということです。

怒鳴る側は、激しく叱ることで次回からの望まない結果を防ごうとしているのでしょうが。もしくは、そんな高尚な?考えもないのかもしれません。

人間というのは、実にデリケートで敏感なものなのですね。相手の考えていることや感情を、かなり正確に把握できるものなのです。

相手がどのような意図で当発言をしているのか、なんとなくわかるものなのです。ましてや、叱る側に見下しや馬鹿にした気持ちがあると、目に見えるようにわかるものです。これは長年の経験から自信を持って言えます。

私は仕事柄、チラシを配ったり人の話を聞いたりしますが、強く出ることができる立場を利用して傲慢な態度をとる人間とそうでない人間とでは、話す言葉の内容も雰囲気も全く違います。

一般的に、上司は部下に対して強く出ることが出来る立場の人間です。

その立場に甘んじ、気遣いを怠り、感情に流されるだけの人間は、部下の管理に対してありふれた結果しか残すことができないでしょう。

逆に、立場に甘えることなく、気遣い、時に乱れる感情を理性で抑え、部下を思いやろうと努力する人間は、部下の管理に大きな結果を残します。

感情的になって怒鳴るような上司は、しょせん「怒鳴る・声を荒げる」こと、つまり恐怖と威圧で部下を押さえつけて物事を乱さずに進めようとしているだけです。恐怖の感情は、部下の仕事に対する愛着を当然失わせます。

逆に、思いやりと気遣いで部下に接する上司のもとでは、部下は常にのびのびとしていて、それが職場のいい雰囲気と作業効率の向上につながります。

なぜこのように明確に結果が異なるのに、人間はなぜ安易に「怒鳴る上司」になるのか?

人間は生物であり、本能的に弱い(と思われる)ものに対しては力でねじ伏せようとするからではないだろうか?

ということは、傲慢ですぐ怒鳴る上司というのは、口では「社会とはああだ、こういうものだ」といかにも知性的なことを言っておきながら、実際の行動は「本能のおもむくまま」ということになります。

人間は理性や思いやりを持つことで、他の生物を一線を画す。

このような理性に欠けた上司の言動に心を痛める人は、心が優しくて繊細で、より理性的な人。

すぐに吠える本能むき出しの動物上司に、理性的な人間が心を痛め、何かしらの不利益を被ることは、あまりに悲しい出来事だと言えます。

見過ごしてはならない・・・決して。動物上司に、理性の雷が落ちんことを。

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ブラック企業に泣き寝入りしないための「原因と対策」講座

ブラック企業と戦うため準備

ブラック企業と戦うための「証拠」の活かし方・集め方講座



嫌われ役の仕事でも、なんとこの世で必要な仕事であるか!

学校を卒業して社会に出た瞬間、自分の周りに寄ってくるのは、自分の財布の中身目当ての話か損か得かの話ばかりでした。

保険の勧誘、うるさくて傲慢で独善的な使用者、お金儲けの価値観を押し付けてくる同僚たち、何をやるにしてもお金、お金、で、本当に辛い時期がありました。

もしこの世にお金なんてものがなくても食べていけるなら、町の風景は全く違ったものになっていたでしょう。そもそもこの町から、やたらと気持ちをあおるようなキャッチコピーや、派手な広告がなくなるでしょう。

もちろん、商業活動を否定するつもりはありません。とても必要だと思います、誰だってこれらの営業活動のおかげで生活ができるのですから。

営業という、欠かすことができないけど大変な仕事を担う人がいるおかげで、工場で働く人は目の前にある材料を加工できるのですから。

今日は、あらゆる業種にたくさんのライバルがひしめきあっています。そんな中で自分達の会社に私仕事を回してくれるためには、営業職さんの地道な努力も必要になります。

私が外回りをしているとき、そんなことを全く理解してないと思われる作業員?に遭遇しました。

まず彼に言わせると、営業という職種は、ウソばっかりでこびへつらっていて、かつ替えなどいくらでもいる職種だ、とのことです。

そして我こそは、若いヤツなどとは積み重ねが違うし、簡単に代替えもできない。だから、営業の人間みたいに簡単にクビにならないし、人に頭をぺこぺこ下げ、ウソついたりヨイショする必要もないのだ、と言っておりました。

自分のしている仕事に誇りを持つことはいいことかもしれませんが、モノゴトの成り立ちや関わりを、ほとんど理解してないと言われてもしょうがない意見でしたね。

彼は昔、営業のような仕事をしたことがまったくないのだろうか?ずっと機械の前で繊細な腕を発揮する仕事ばかりだったのだろうか?

彼ばかりのような考え方の人間しかいない会社は、多少品質が悪くても安い製品を作る会社に、仕事を奪われてしまうかもしれません。

その時になっても、彼は『俺の技術があれば大丈夫』だと言ってられるのでしょうか?

熟練工の技術による高品質商品と、それを適材適所に送り込む物流システム、会社と会社をつなぎとめる営業さんの根回しやコミュニケーション、そして従業員が安心して働けるように陰で事務をこなす人たち。

彼らがすべて合わさって、会社はうまく機能し、そして皆が給料を毎月決まった時期にもらうことが出来るのです。

とかくこの日本は、嫌われ役の仕事や、地味で直接お金を産まない仕事を軽視する傾向があります。しかしどんな仕事も、不要なものなどない、と思いました。

私自身が嫌われ役の仕事をして、あらためて実感したことです。

機械の前で、もしくはパソコンの前で張り付いていただけでは、なかなか実感できなかったこと。

また一つ、勉強をさせていただきました。

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労働基準法違反・職場いじめで自分に負けないための考え方集



同僚が同僚をさげすみ、イジメをする。職場イジメのほとんどは同僚のしわざ。

意外に思われるかもしれませんが、会社内のイジメのほとんどは、同僚によってなされるのです。

職場でのイジメと聞くと、傲慢な使用者や上司がある特定の労働者に的を絞って、組織ぐるみでイジメをする、というイメージがあると思います。

しかしこのようなケースは実は少数なのです。職場でのイジメで最も多いのは、同僚が同僚をイジメるパターンなのです。

ここで皆さんの記憶に働きかけたいと思います。

あなたの社会人としての記憶の中(アルバイト時代も含む)で、ありませんでしたか?同じ職場でのイジメが。

例えば、仕事が遅い、とか、物覚えが悪い、とかでいつもベテランの同僚らに冷たい扱いをされている人はいませんでしたか?

『そんなもの、その人にも問題があるから仕方ない。それはイジメじゃない』

そう思った方はいませんか?

その言葉、どこかで聞いたことがある。そう、中学生のいじめの中で、加害者が言い訳をするとき、もしくは周りで見て見ぬフリをしていたクラスメートが、自分への責任を回避するために言う言葉です。

周りにとってはささいな陰口でも、それを言われた本人はとっても辛いのです。言われた本人だって、生活がかかっているから仕事を辞めることはできない。つまり、逃げることが出来ないのです。そのような状況で言われる言葉は、まさに傷口にナイフを刺すようなものでしょう。

その痛みは、確実に残酷に、被害者たる労働者を追いつめます。

あなたは、同僚と人間関係をうまく構築できずに去って行った人を見たことありませんか?あなたの周りの人にも、人との関係が原因で会社を去った人はたくさんいるはずです。

考えてみてください。同僚も同じ従業員です。ちょっとくらい仕事が早くできたって、ちょっとばかし入社した時期が早くたって、しょせん同じ会社にやとわれている労働者なのです。

勘違いをしないで欲しいのですが、このページでは、従業員たる立場を軽く見る考えは一切ありません。私も同じく、会社にやとわれて生活費を稼いでいる人間です。

同じ立場の人間同士がわずかばかりの優劣をネタにして見下しあっているのは、なんと見苦しくて愚かだろうか、と言いたいのです。

ですから、みなさんの心の中に、新たに認識を持ってもらいたいのです。職場でのイジメは、多くは同僚の心ない行動によってなされている、と。

あなたも私も、いつ加害者になるか分からないのです。

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ブラック企業に泣き寝入りしないための「原因と対策」講座

ブラック企業と戦うため準備

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見栄も地位も財産も何もかも不変のものはない、という考えから行動に移して、今の私がある。

いつもこうしろ、ああしろ、と言っているばかりなので自分の行動の成果をすこし書いてみたいと思います。

3年前、私は「経験がないから今までの経験のある仕事に行く。行きたくないけど・・」と後ろ向きなことを考えていました。

しかし、多くの考えに触れ、考え方が大きく変わっていき、今ではコネも経験もない世界に飛び出しています。

考えても見てください。以前の会社では、パワーハラスメントで威張りちらしている課長ですら、私の意見を聞かなかったのに、今では多くの人がこのブログを見てくれています。

これって当時では考えられないような、大きな大きな成果ではないでしょうか?

今はブログのせいもあって、多くの人が意見を世に出していますが、皆当たり障りのない日記が多いです。それはそれでとても面白いです。生身の本音の感想が書いてあったりして、とても面白いのです。

しかし私はあえて、労働関係の、本当の、醜い世界も隠さずに書いていきたい。そこで理想も語りたい。多くの人に「きれいごとだ」とか言われますが、その考えのおかげで今は大きなる変化を受けることができるのです。

きれいごとと言われて落ち込んで行動に移さなかったら、私は何も今でも変わっていなかったでしょう。何も特別なことをしたわけではありません。自分に自信を持ち、胸を張って動いただけです。

その行動ですらも、変わったことをしたわけではありません。やりたいことがあって、それならばこの行動が必要だと考えて、それを実行しただけです。

実行したいという気持ちは、自分の考え方を少し変えただけで湧いてきました。大金をはたいて買ったわけでもないのです。

もちろん、いろんな人の本を読みました。ある時気づいたのですが、皆究極には同じことを言うのですね。

その一つが、見栄も地位も何もかも不変のものもない。とらわれずありのままに、したいように・・・とうい考え。

賢人の多くがそのように言うということは、そのようにすれば私も少しは変わることができると考えて実行したわけです。

何も特別なものはなかった。今の状態で出来ることばかりだった。

やってみませんか、そして、自分の生活を変えてみませんか?という言葉は甘美ですが、その言葉にうまくのせられて行動してみるのも、なかなかいいですよ。

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ブラック企業に負けないための「戦略的思考」の用い方



自然の中での物思いが、心の底からのあなたの夢を思い出させる

自然の中で物事を考えるのが大好きです。気持ちがとても落ち着きます。

私の第一の趣味と言っても過言ではありません。自然の中で物事を考えることは、お金もかからないし、気合を入れて遠くに行く必要もないのです。

自然といっても、私の家の周りにある自然なんて、小さなものです。

木々に囲まれた公園や、夕暮れ時の田んぼの真っただ中・近くの神社の森の中・堤防の階段など・・・。

これらの自然なら、皆さんの周りにもあるものばかりです。自然の中で物思いに沈むには、家のすぐ近くに限ります。

なぜ家のすぐ近くの自然がいいのでしょうか?さっきも書いたけど、お金がかからない、という理由も大きいです。しかしもっと大きな理由があります。

それは、長い時間物思いに沈むことができるからです。遠くに行ってしまうと、帰りの運転が気になり、早めに切り上げたいと思い、心の奥底まで考え込むことができない。

やはり真剣に?物思いに沈むためには、時間をかけないと私は物足りないのです。

家の近くの自然ならば、どこがもっとも居心地がいいか、だいたい分かっています。そんな自分のお気に入りの場所を見つけ、深く考えたいとき、悩んだときには、存分にその場所で沈むのです。

ぼーっとしていると、いろんなことを考えます。以前、ふと心に思い浮かんだ考えが、うまくいく考えだったりする、と書きました。その考えが浮かびやすいのが、自然の中の瞬間だと思うのです。

おそらく、他人の目や、他人の勝手な意見から自由になり、己の心に素直になれるのでしょうね。

そのメリットの副産物でしょうか。そんな時自分の思い描く理想やあこがれ、夢を考えると、リミットのない、社会に迎合しない、本当の心の底からの『夢』が湧いてくるのです。

自分が心から描く理想や夢は、長い時間自分自身と対話をすることで浮き上がってくるのです。

しかしなかなかそのような時間もないし、自分自身と対話をすることも難しい。

であるならば、まず手始めに、あなたの家の近くの自然の中で、自分は自然の一部だと感じつつ、己の心から自然に湧き上がる願望を見つめてみるのです。

その時間に、誰の遠慮もいりません。

思い描く理想も夢も、あなたが考えるだけだから、誰にも笑われない。素直に考えてみるのです。

少しでもあなたの奥底をのぞけたら、とても素晴らしいな。

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労働基準法違反・職場いじめで自分に負けないための考え方集



成功しても、死んでしまったら、記憶から消えていくのか?であるなら、己の心のままに生きたい。

本屋に行くと、あふれんばかりの成功本の数々。内容を見ると、その多くは世俗で言われる成功を追い求めることばかり。

これだけ多くの成功本があふれていると、その人自身が持っていたユニークでマニアックな夢ですら、それらの成功本が説く「成功」に変えられてしまうのではないだろうか?

例えば、ある人が「宇宙船を作りたい」という夢を持っていたとします。しかしちまたの成功本を何冊か読んでいるうちに、いつしか「お金持ちになること」が夢になってしまう、というようなことです。

夢というものは、追いかけているうちはその人のやる気と向上心をはぐくみます。しかしそれは、その人が心からの夢を見つけて追いかけている時だけの話です。

なんとなく「これが私の心からの夢なんじゃないかな?」というノリでは、意欲もわいてきません。私がそう感じているのです。そして他の多くの人も言っています。

私の周りには、日本人的な安定コースを外れた人がたくさんいて、彼らは彼らなりに真剣に悩んでいます。

周囲の人間は、非正規で働く不安的な身分と、彼らの発するおちゃらけた言葉だけを取り上げて「もっと真剣に真面目に生きなければならない」と決めつけ、彼らの奥底にある真の苦しみに目を向けようともしません。

「ランボルギーニに乗りたい」といった彼だって、仕事を辞めてしまって周りの嘲笑にさらされている彼だって、これからどうしよう、どうしよう、とふと心の奥底にある苦しみや苛立ちを口にするのです。

そんな悩む彼らのような人間の前に、ちまたにあふれる成功本の内容は、とても誘惑的に見えます。そして成功本の甘美な内容を「自分の待ち望んだ夢」と思いこみ、ますます己だけの価値観から外れ、真の夢のへの道から外れていくのです。

そんな自らの夢ですら維持するのが難しい中で、己の憧れを信じて新しい世界に飛び込み、己の心の命じる夢をかなえ、そして死んでいったある男性の話を聞きました。

その男性は単身新しい世界に飛び込み、周りの偏見とも戦いながら一定の成功をおさめます。しかし病が彼を襲い、帰らぬ人となります。

しかし彼は、己の夢に生きたのです。彼が人生を幸せに思っていたかどうかはわかりませんが、己の夢に生ききったことは、とてもまぶしく映るのです。

成功を収めたその男性の記憶も、時の流れとともに人々の記憶から忘れられていきます。知っているのは、親友や家族・親族のみ。でも、それでもいいのではないでしょうか?

成功本の説くような金持ちになったところで、やはり死んでも人々の記憶からなくなっていく。生きている間に、お金を使いまくったり、権力を振りかざして大きな顔をしても、それは本当に心を満たすことだったのだろうか。

その成功者が、心からの真の夢が、金持ちや権力者のようになって大きな顔をする、というものなら、それはいいのかもしれないが。

私は、己の憧れに心を砕き、ひたすらにその道を歩みきった男性のような人生を望みたいです。

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ブラック企業に負けないための「戦略的思考」の用い方



休職命令が出されている日に、年次有給休暇を使うことができるのか?

質問者さんは、会社から休職命令を出された会社員の方です。

彼は会社から休職命令を通知され、命令指定日に休職しました。しかし彼はその日に年次有給休暇をつかうことができるかの気になったのです。

・・・結論を言います。当該休職命令対象日に、有給休暇を使うことはできません。

なぜなら、当該休職日は、質問者さんに労働の義務がないからです。

年次有給休暇の趣旨から考えてみましょう。

有給休暇とは、「労働日において労働義務を免除し、かつその日の賃金をしはらう」という制度です。

つまり有給休暇を使う日は、「労働日」でなければなりません。

労働日とは、労働義務がある日です。しかし休職命令が出されると、当該日は、労働の義務が免除されます。

まとめてみましょう。

休職命令が出た日は、労働義務が完全に免除される。

有給休暇は、労働の義務がある日(労働日)にのみ行使できる。

よって、休職命令日に有給休暇の取得はできない、ということになります。

そもそも、休職命令というものは、それほど頻繁に出されるものでありません。

休職命令は、使用者から労働者に対して一方的に出される場合があります。労働者が病気であるケースを除き、ほとんどが使用者からの嫌がらせの一環として出されます。

休職命令をうけた場合、その間の賃金相当額はいざという時のために管理しておきましょう。

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有給休暇の労働基準法違反に対抗する!



ケガや病気で療養している期間中に年次有給休暇を使うことはできるのか?

長い間会社に勤務していると、時には病気により長い期間会社を休むことがあります。

今日はそんな病気療養中に有給休暇を使うことができるかどうか?ということを説明したいと思います。

結論から言いますと、病気療養期間中に請求することによって年次有給休暇を使うことができます。

なぜなら、病気療養期間中は休職命令が出た時のように労働義務が免除された状態ではないからです(休職中の有給休暇については、休職命令が出されているときには、有給休暇を使うことができるのか?を参照)。

労働義務が免除された状態でなければ、有給休暇の権利は行使できます。

有給休暇の使用目的は、自社の労働争議で使用すること以外は何らの制約も受けることはありません。自分の会社の労働組合が起こす団体行動(ストライキなど)に使う以外は、利用目的はなんでもオーケーなのです。

ここで行政通達を見てみましょう。

『負傷又は疾病等により長期療養中の者が休業期間中年次有給休暇を請求したときは、年次有給休暇を労働者が病気欠勤等に充用することが許されることから、このような労働者に対して請求があれば年次有給休暇を与えなければならならない。』(「労働法全書」より引用)

【実例解説】

重度のヘルニアにかかった労働者が、他の軽微な仕事に従事することもできず、長期間の療養を余儀なくされていたとします。

ヘルニアの原因が業務上に起因するものでなくてもいいのです。業務に起因する負傷や疾病ならば、それは労災による補償が考えられます。

当該労働者は、会社に療養期間中有給休暇取得を請求することによって、当然に取得することができます。

もし会社がその請求を拒否したらどうするべきだろうか?

請求した事実と、拒否された事実をしっかりと記録に残しておきます。しかし記録に残したからといって、すぐに行動を起こすのは危険です。療養期間中に有給休暇を使わせないような会社、もしくは使用者は、請求以上の行動(例えば労働基準監督署への申告など)をとると、従業員として地位を奪ってくる可能性があるからです。

その場はとりあえず乗り切るしかありません。療養期間中にその会社での従業員としての地位を失うことの方が、労働者にとっては酷な結果となるからです。常に最悪の結果を考えて行動します。

療養期間中に請求できないならば、違う場面で有給休暇を消化する方法を考えるのが現実的です。一時耐え忍び、時期到来を待って権利を行使し尽す。

もしどうしても療養期間中に有給休暇を行使しなければならない時は、最初に請求するときの請求の仕方に最新の注意を払います。

苦しい現状と、使用者の勇断にすがるのです。屈辱でしょうか?そんなことはありません。相手が勇断をして、かつこちらも有給休暇を取得できる、それこそがもっとも幸せな結果となります。互いが、深い絆すら生むことが出来ます。

業務上外の負傷・疾病による療養期間中は労働者側にも負い目の感情があると思います。なかなか強く請求できないのも無理がありません。

その場合は、互いを問題を解決する協力者として、交渉にあたって見ましょう。違う結果が生まれる可能性を生みます。

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