学校を卒業して社会に出た瞬間、自分の周りに寄ってくるのは、自分の財布の中身目当ての話か損か得かの話ばかりでした。
保険の勧誘、うるさくて傲慢で独善的な使用者、お金儲けの価値観を押し付けてくる同僚たち、何をやるにしてもお金、お金、で、本当に辛い時期がありました。
もしこの世にお金なんてものがなくても食べていけるなら、町の風景は全く違ったものになっていたでしょう。そもそもこの町から、やたらと気持ちをあおるようなキャッチコピーや、派手な広告がなくなるでしょう。
もちろん、商業活動を否定するつもりはありません。とても必要だと思います、誰だってこれらの営業活動のおかげで生活ができるのですから。
営業という、欠かすことができないけど大変な仕事を担う人がいるおかげで、工場で働く人は目の前にある材料を加工できるのですから。
今日は、あらゆる業種にたくさんのライバルがひしめきあっています。そんな中で自分達の会社に私仕事を回してくれるためには、営業職さんの地道な努力も必要になります。
私が外回りをしているとき、そんなことを全く理解してないと思われる作業員?に遭遇しました。
まず彼に言わせると、営業という職種は、ウソばっかりでこびへつらっていて、かつ替えなどいくらでもいる職種だ、とのことです。
そして我こそは、若いヤツなどとは積み重ねが違うし、簡単に代替えもできない。だから、営業の人間みたいに簡単にクビにならないし、人に頭をぺこぺこ下げ、ウソついたりヨイショする必要もないのだ、と言っておりました。
自分のしている仕事に誇りを持つことはいいことかもしれませんが、モノゴトの成り立ちや関わりを、ほとんど理解してないと言われてもしょうがない意見でしたね。
彼は昔、営業のような仕事をしたことがまったくないのだろうか?ずっと機械の前で繊細な腕を発揮する仕事ばかりだったのだろうか?
彼ばかりのような考え方の人間しかいない会社は、多少品質が悪くても安い製品を作る会社に、仕事を奪われてしまうかもしれません。
その時になっても、彼は『俺の技術があれば大丈夫』だと言ってられるのでしょうか?
熟練工の技術による高品質商品と、それを適材適所に送り込む物流システム、会社と会社をつなぎとめる営業さんの根回しやコミュニケーション、そして従業員が安心して働けるように陰で事務をこなす人たち。
彼らがすべて合わさって、会社はうまく機能し、そして皆が給料を毎月決まった時期にもらうことが出来るのです。
とかくこの日本は、嫌われ役の仕事や、地味で直接お金を産まない仕事を軽視する傾向があります。しかしどんな仕事も、不要なものなどない、と思いました。
私自身が嫌われ役の仕事をして、あらためて実感したことです。
機械の前で、もしくはパソコンの前で張り付いていただけでは、なかなか実感できなかったこと。
また一つ、勉強をさせていただきました。