成功しても、死んでしまったら、記憶から消えていくのか?であるなら、己の心のままに生きたい。

本屋に行くと、あふれんばかりの成功本の数々。内容を見ると、その多くは世俗で言われる成功を追い求めることばかり。

これだけ多くの成功本があふれていると、その人自身が持っていたユニークでマニアックな夢ですら、それらの成功本が説く「成功」に変えられてしまうのではないだろうか?

例えば、ある人が「宇宙船を作りたい」という夢を持っていたとします。しかしちまたの成功本を何冊か読んでいるうちに、いつしか「お金持ちになること」が夢になってしまう、というようなことです。

夢というものは、追いかけているうちはその人のやる気と向上心をはぐくみます。しかしそれは、その人が心からの夢を見つけて追いかけている時だけの話です。

なんとなく「これが私の心からの夢なんじゃないかな?」というノリでは、意欲もわいてきません。私がそう感じているのです。そして他の多くの人も言っています。

私の周りには、日本人的な安定コースを外れた人がたくさんいて、彼らは彼らなりに真剣に悩んでいます。

周囲の人間は、非正規で働く不安的な身分と、彼らの発するおちゃらけた言葉だけを取り上げて「もっと真剣に真面目に生きなければならない」と決めつけ、彼らの奥底にある真の苦しみに目を向けようともしません。

「ランボルギーニに乗りたい」といった彼だって、仕事を辞めてしまって周りの嘲笑にさらされている彼だって、これからどうしよう、どうしよう、とふと心の奥底にある苦しみや苛立ちを口にするのです。

そんな悩む彼らのような人間の前に、ちまたにあふれる成功本の内容は、とても誘惑的に見えます。そして成功本の甘美な内容を「自分の待ち望んだ夢」と思いこみ、ますます己だけの価値観から外れ、真の夢のへの道から外れていくのです。

そんな自らの夢ですら維持するのが難しい中で、己の憧れを信じて新しい世界に飛び込み、己の心の命じる夢をかなえ、そして死んでいったある男性の話を聞きました。

その男性は単身新しい世界に飛び込み、周りの偏見とも戦いながら一定の成功をおさめます。しかし病が彼を襲い、帰らぬ人となります。

しかし彼は、己の夢に生きたのです。彼が人生を幸せに思っていたかどうかはわかりませんが、己の夢に生ききったことは、とてもまぶしく映るのです。

成功を収めたその男性の記憶も、時の流れとともに人々の記憶から忘れられていきます。知っているのは、親友や家族・親族のみ。でも、それでもいいのではないでしょうか?

成功本の説くような金持ちになったところで、やはり死んでも人々の記憶からなくなっていく。生きている間に、お金を使いまくったり、権力を振りかざして大きな顔をしても、それは本当に心を満たすことだったのだろうか。

その成功者が、心からの真の夢が、金持ちや権力者のようになって大きな顔をする、というものなら、それはいいのかもしれないが。

私は、己の憧れに心を砕き、ひたすらにその道を歩みきった男性のような人生を望みたいです。

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