月別アーカイブ: 2024年2月

決して辞めない、もう一つの特殊技能(中国拳法)の練習

3日前からずっと風邪をひいています。

3年半前に風邪を引いたときは、朝の練習後に熱が出始め、大したこともなく、次の日には回復していたので夕方に練習したので、練習のストップは無かった。

今回は仕事に行く前から高熱が出たため、以後3日間練習はストップしたとしておきました。バイト先にも迷惑をかけてしまった。申し訳ない気分でいっぱいです。

26年連続で練習をしていると、それが日常の中で当たりまえになってくる。練習も辛くない(やっぱり辛い時もある)。朝の3時台に起きるのも当然となってくる。台風でも大雪でも、大寒波でも熱波の時でも練習する意志は変わらなかった。が、己の内からくる辛さには勝てないときもある、今回はさすがにさげた。

何か事をする時、やらない理由を見つけるのは実に簡単です。いろいろな理由があります。寒いから。明日朝が早いから。気分が乗らないから。人が練習場所にいるから。着る服が無くなるから・・・ほかにもいくらでも思いつく。以前は私もそのようなことを言っていた時期があった。

でも、話を聞くと、昔日の達人はそんなことはなく、毎日当たり前に練習していたらしい。そして私の身近にいる先生も、先生の先輩たちも、皆、当たり前に毎日練習している。

その中で、練習する拳法の術理が身に着くのでしょうね。その動作が自然となるから、いざという時に自然と出る。確かに、いざという時に、あまり練習してない不慣れな動作はできない。

外回りバイト中におっさんに襲われたときも、練習中にやんちゃそうな少年たちに絡まれたときも、出た動作はみな、もっとも練習した基本技だけだった。それは八卦掌の基本技であったり、柔道の受け身・そでのつかみ方であったりした。

おそらく、毎日の練習すらなかったら、それらの基本技すら出なかったでしょう。その場に居ついてしまい、固まって動けなかったと思います。相手に対処した時、その場で何か考えていた記憶もありません。後になって、「ああすればもっと良かったかな」と考えるだけです。

昔は、今よりももっともっと生命の危険が身近であった時代です。他流試合でも、命を落とすことすらあった。よって拳法を練習する者たちは、よりシビアに練習に取り組んでいたはずです

きめ細やかな法で守られた現代の日本で生きる私には想像もできないのですが、せめてその気概だけでも見習って、これからも毎日継続して練習していきたい。

今日はその決意の日にしようと思う。

きっと病み上がり後初の練習の時には、脚の筋肉痛はほとんど消えているでしょう。リフレッシュされたその脚に、再び積み重ねていきたい、術理の蓄積を。

拳が求める基本動作をもう一度吹き込んでいきたい。清朝末式八卦掌仕切り直しだ。やり直しだ。

練習が低調だったのはとても残念だったが、これを機に、ふたたび飛躍したい。

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労働基準法違反・職場いじめで自分に負けないための考え方集



尾崎豊「シェリー」に思う~みんなの、私の「シェリー」は?

前回(6月2日)、ブログで尾崎豊さんの『シェリー』について思いを書きました。

意外と反響があったようで、メールで、または話の中で、皆さんにとっての『シェリー』を教えてもらいました。

まずは家族。

これは基本ですね。そして定番です。しかし定番になり得るだけの、極めて深い思い入れがあるでしょう。

前にいた会社でがむしゃらに働いている30代の人がいました。「なぜにそこまでするのか?」という同僚の問いに迷わず、「家族のため、それ以外ない」と即答していました。家族が安心して寄りかかってくれるためには、俺がしっかりしなければならない、しっかりすれば、子供も安心して学校に進学させられる、という趣旨の話をしていました。

カッコいいですね。この方はきっと、うまくいかないときは、心の中で自問するのでしょう。「シェリー(家族よ)、おれは真実へと歩いているかい?」と。この方にとって真実とは、「家族の平穏な生活」なのでしょうか。

恋人。付き合っている人。

この歌の展開から言って、多くの人が『シェリー』とは恋人だと思うでしょう。

メールで教えてくれた人は、「今のままでいいよ、そこがいいのだから」と言ってくれる恋人が、私にとっての『シェリー』だと教えてくれました。このメールを見て、胸が熱くなりましたね。

ありのまま、つまりは欠点や、一般的でない趣味、性格、弱いところまで認めてくれる人が常にそばにいて、暖かい目で見守ってくれているのならば、「転がり続けて こんなところにたどり着いた」としても、前を向けるのでしょうね。立ち上がって、ふらふらになりながらも、進むことができるでしょう。

なんてロマンティックで、素敵だろうか。この人は、本当に素敵な人に巡り合ったのですね。

親。

わがままを言っても、無償の愛をかけ続けてくれる親は、精神的な支えになるでしょうね。

「シェリー?親だろうか」と教えてくれた人は、結婚後も迷惑をかけて婚姻も破たんしたが、その時でも唯一味方になってくれた親に申し訳なさと同時に、とても感謝していました。

ただ、心の中であっても、親を「シェリー」だと思うのは気恥ずかしい、とも言っておられました。そうでしょうね。私も同じ立場ならば、そう思います。

前にも書きましたが、尾崎は母親をイメージしてこの歌を作った、とも言われており、きっと、多くの「シェリー」好きには、同感する人も多いと思います。

お世話になった方。上司。先輩。先生。

意外?と、このような方もおられます。先生や上司は、自分が右も左も分からない時に、その世界で生きていくための術を教えてくれる人でもあり、かなり大きな影響を受けるハズです。

先生に教わった考えが、その人の人生の中で大きな精神的柱になることもあるでしょう。新人時代に、仕事への取り組み方を熱心に思いやりをこめて教えてくれた上司は、以後の社会生活にとって見本となり得る存在です。

漫画の話で恐縮です。「野球狂の詩」を知っていますか?ドリームボールという魔球を武器にプロで活躍する女性投手・水原勇気が主人公の、水島新司氏の野球漫画です。

水原には、東京メッツでの2軍時代にプロ野球選手のイロハを教わった武藤兵吉というベテランの先輩?上司か?がいました。「バッキローイ!」が口癖の少々荒っぽい先輩です。武藤はやがて広島東洋カープにトレードされ、そこで武藤はメッツを見返すため、水原のドリームボール攻略に野球人生を賭けます。

水原は武藤が去った後、数多くの苦難に直面します。その時、水原が真っ先に想った人が、武藤兵吉でした。水原は追い詰められ、ある時広島のカープ宿舎の武藤に電話をします。その時武藤は、電話先で水原が泣いていることを悟り、あえてふたりが一緒にいた時のように接します。「バッキローイ!」と。昔のままに接することが、水原を最も勇気づけると思ったのでしょうね。それを聞いて水原は感謝しながら泣き崩れます。無骨だが、「シェリー」になりうる、素敵な先輩ですね。

ちなみにその後、武藤は水原と対決、ドリームボールをバックスクリーンに叩き込み、そのまま現役引退。水原は、ドリームボールを打たれたら引退するといっていたが、それはせず、武藤を師として現役を続行します。野球漫画で最もすてきな話です。

・・・・皆、いろいろとあるのですね。私はどうだろうか?

皆のように明確に「これだ!」と言い切ることができない。前に記事を書いたときは、多くのものを挙げたが、それらを苦しい時に思い浮かべただろうか?それらを思って、立ち上がっただろうか?

私の場合、絶対的なものが存在しないのかもしれない。影響を受けた上司や先生もいなくなり、話すことも叶わない。

でも、苦しい時のつど、いろんなもの、人に支えられていたのでしょうね。きっとそうです。一人で耐えきった記憶はない。

できることならば、私も、誰かにとっての「シェリー」でありたい。ささやかな存在でもいいのです。その人にとって「シェリー」そのものでなくてもいい。そう思って、人に接しているつもりです。

少しでも、支えになれたら嬉しい。

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労働基準法違反・職場いじめで自分に負けないための考え方集



敗北に慣れることなど決して無い~一つの闘いの終わりに

一つの闘いが終わりを告げようとしています。その闘いは、世間の基準から見たら、「敗北」です。

空いた時間を利用して、少ない材料と可能性を頼りに頑張ったのだが、うまくいくことはなかったです。相手が一枚も二枚も上でした。

力不足を感じました。そして、心の底から申し訳なさを感じた。これは落ち込みます。他人ごとではない。まさにこれは自分のこと、そのものですから。

過程でいろいろな人格否定をされたけど、そんなことはどうでもよかった。

苦しい経験からは、何かを学ばなければならない、とよく言うが、今は、時が過ぎるのを待つことにします。時が過ぎて、何かしらの行動をおこせるようになったら、また動きたい。今は、時の経過を慰めにしよう。

6月18日の記事で書きましたね。また、ケ・セラ・セラです。

なるようになるさ、先のことなどわからない。今日は悪い日だった。人生には、いい日もめぐってこることもあれば、悪い日もめぐってくることもあるさ。

しかし、この闘いは、間違いでなかったと思います。結果的には「敗北」だったが、「間違い」ではなかった。

そう思っています。

レディ・ガガも「Born This Way」で言っていましたね。

「私はこのようになる運命のもとに生まれてきたの 私は正しい道を歩んでいるのよ」

今一度、彼には、この歌を聴いてもらいたい。あの時一緒に盛り上がったように。鼓舞した時のように。

さあ、明日から、また検討と対策の日々が始まる。

共に進んでいこう。私も決してあきらめない。食い下がってみせる。相手方弁護士に、裁判で押しつぶすだけでは、決して物事は収まらなことを教えてやる。

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すべてがうまくいくことを願った後の、美しい夕暮れ時

今日は、一日を通して、悩んだり、笑ったり、泣いたりした、感情の起伏の激しい一日でした。

こんな日はなぜか記憶に残ります。一日を終えて、まるで抜け殻のような状態になってしまった。

本職は、危機的な局面を迎えています。どうすることもできないので、なすがままです。すべきことはした。でも、人事を尽くしても、最悪の事態を迎える覚悟を決めきることができず、心が動揺して、悩んでいた。アルバイトの時間も、一人になってふと考える時間も、悩んだ。

辛い時の拳法の練習は、特に過酷です。基本の歩法練習時、脚の疲労感に耐えられないのです。今日は辛さのあまり、泣きながら我慢しようとした。そして我慢できなかった。自分に負けてしまった。負けたから、また泣けました。

でも、一日が悩みだけで終わったわけではありません。今日はそのあとに、嬉しい事もありました。

お世話になった方と話す機会があり、そこでたくさんの元気をいただきました。本当にうれしかったです。いつ話しても、太陽のような元気いっぱいの方です。

争い事を生業とし、それゆえ?孤独気味の私とはまったく真逆のタイプの人であり、それゆえ、尊敬をしていました。この方の周りに、常に人が集まるのも分かる気がします。今日も変わりなく太陽そのものでした。

この方も最近大きく環境が変わり、本当は大変なはずなのに、話の中では以前と変わらず、本音で、かつ屈託なく話されます。悩ましい状況は打開もされてないのに、ありのままで進もうとされていました。

頭がさがりました。わたしごときが余計なお世話ですが、少し安心もしました。

そして、すべてが望ましい方向に向かっている状況も、教えてくださいました。今日初めて知った事なので驚きましたが、またまたうれしかったですね。すべてがうまくいくことを、心の中で再び願いました。

今日は、この嬉しい事二つだけで、十分でした。午前中の悩みも、吹き飛びましたね。

その後、一人での夕暮れ時、ふと公園のベンチに座って太陽の沈む方向を見ると、あまりに美しい夕暮れ。今日はあれほど蒸し暑くてはっきりしない天気だったのに、なぜかこの時だけ、こんなにきれいな夕暮れを見ることが出来ました。

しばらく見入っていましたね。こういう時間というのは、自分の置かれた孤独な状況がよりはっきりと意識されてしまうので、とても気持ちが沈むのです。ましてや、楽しい時間の直後だったから、夕暮れのキレイさと相まって、ドーンと沈みました。

いろいろとその時その時で決断し、逃れて刃向って、クビになったり会社と戦ったりして、この場所にたどり着きました。

気が付いたらこんな場所に。

さて・・・・これからどうしようか。自分だけで決めないといけない。

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武経七書「李衛公問対」は「孫子」読後の解説書として使った

武経七書の「李衛公問対」は、武経七書の中で、成立が最も新しい兵法書です。

最も新しい・・・と聴かされると、結構多くの人が無意識のうちに「新しいから出来がいまいちなのでは?」と考えてしまうのです。しかし、この「李衛公問対」は、実に有益な兵法書だと思うのです。

有益だと思う理由・・・それは、本書中で二人の兵法のプロが、過去の有名な兵法についてわかりにくい点を解説する、というスタイルをとっているからです。つまり、二人の兵法の天才が、過去の兵法書のわかりにくいところ・もっと知りたいところを解説してくれているのですね。

二人の兵法のプロ・・・それは、中国史上きっての名君たる太宗(李世民)と名軍師・李衛公(李靖)です。

太宗は高校の教科書でおなじみであり、名君でもあり、戦略・戦術の天才でもあり、若い頃はその才能で唐の中国統一に大きな成果を挙げました。有能な君主でもあり、智謀と武勇を兼ね備えた将軍でもあったのですね。

李靖は、唐の建国を成した高祖(李淵)の時代からお仕えしている年長の軍師であり、太宗時代には軍の重鎮となっています。隣接異民族国家(突蕨)の平定に多大な功績を挙げた、名軍師です。

実際に、第三者がこの二人の問答を実際に聞いてそれを後に書き留めた、かどうかは、不明ですが、真実はいいではないですか。この二人の会話内容は実にプロフェッショナルで、的確であり、教えられる点が多いのですから。

私は「孫子」を読んだ後、孫子本編中に出てくる「奇」と「正」の意味と、両者の違いがよくわかりませんでした。だが、「李衛公問対」では、最初に「奇」「正」について二人が熱い会話を展開してくれており、実に参考になります。

「奇」と「正」については、「孫ぴん兵法」においても触れられていますが、解説のわかりやすさは、「李衛公問対」の方が上だと感じます。それは具体例が豊富なのもさることながら、二者のQ&Aの形式をとっているからではないでしょうか?

もし武経七書を全部読破したいと思うならば、まず「孫子」を通読し、その後李衛公問対の奇正の部分を読み、その後各六書を読み、最後にまとめで「李衛公問対」を読む、と効率がいいかもしれません。実際、私はその順に読みました。

「李衛公問対」は唐の時代までに発生した戦いや、過去の兵法書、過去の軍師・君主らを素材に採りあげ、具体的な解説を展開しています。ですから、歴史に興味がある人ならば、いきなり当書を読んでも興味深く読み進められるでしょう。

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ブラック企業と戦う労働者のための「孫子の兵法」活用塾



どんなに「いいこと」をしても、半分以上の人間は敵に回る。大丈夫。

アメリカの大統領であるE・リンカーンの言葉でこんなものがありました。

「世の中の半分に反対されるぐらいであるならば、とてもうまくやっている方だ」

半分の人に反対される・・・つまり20人いたら10人の人間が反対。100人いたら50人が反対する・・・。とても反対者が多いような気がしますが、リンカーンは、「それくらいならば、あなたはとてもうまく立ち回っているのですよ」と言う。

リンカーン自身、アメリカの半分を敵に回して戦争をしました(南北戦争)ね。その経験がある彼だから言い得る言葉でしょうか。

私は、社会人になって、この言葉の言っている意味が初めて理解できました。

働くようになれば、己の仕事を遂行するうえでどうしても人とぶつかってしまう。ましてや他人に仕事を教えたり、人を管理する仕事に携われば、嫌われたり避けられることは避けられない。

置かれた立場ゆえとはいえ、人に嫌われること、明確に反対されること、敵意をもって罵倒されることは、私には辛く、苦しい経験でした。

私は学生の頃、とにかく、嫌われたり陰口をたたかれるのが嫌いで、いや、怖くて、いつも同級生らには当たり障りのないことをはなしていました。今でも私生活では、人のことをとやかくは言いません。

しかし仕事となるとそうはいかないのですね。言わざる得ない状況に追い込まれる。皆、己の仕事を効率良くこなさなければならなかったり、少しでも楽して処理したいため、そこで人の思惑がすれ違ってぶつかり合う。

管理者であればなおのことですね。さぼりたい部下、ゆるく仕事をしたい部下がいれば、指摘し、時に叱責しなければならない。そこで直接的に煙たがられる。

私もその立場に置かれ、多くの人とぶつかりました。

一時は、半数以上、いや、7割以上の人間に嫌われましたね。口もきいてくれない。無視をされる。いまでも、そこにいけば白い目を浴びせられる。

腹が立ちましたよ。そして悔しかったですね。受け入れられなかったです。

リンカーンの言葉はすでに知っていたが、いざ自分がその立場になると、なかなか割り切ることはできなかったのです。

毎朝、起きて仕事に行くことが辛かった。怖かったし、嫌っている連中のそばを通ることが、できなかった。敵意を持ってみられることが、これほど心にダメージを与えるとは思わなかった。そう思っているうちに、被害妄想にもなってきました。

いろんな本を読んで、拳法をして、きれいな景色を見て、やけ食いをして、そんなことをしても解決はできませんでした。ある心理状態になるまでは。

その心理状態とは・・・・その状況に慣れてしまうこと。あきらめてしまうこと。

人間って、すごいですね。どのような状況にも慣れてしまうのですね。私の場合は、人に嫌われることに慣れただけですが、世界では、もっと過酷な環境・人間関係にも慣れて、それを受け入れて生活している人がいるのですね。

だからといって、「世の中にはもっと苦しい環境におかれた人もいるのだから、我慢しろ」と言うつもりは全くありません。そんな言葉、私にとっては何の励ましにもならなかったのですから。

ただ、今が苦しい状況ならば、自分の今の現状をまずバカにし、笑い、もういい、どうにでもなるさ、なるようになるさ、とあきらめて欲しいのです。

現状をあきらめ、「どうでもなるさ、だから私は私らしく進むのさ、反対する奴は反対しろ、そのかわり、こちらも言われっぱなしではないぞ!やりたいようにやるぞ!」と開き直る・・・そうすることが、こんな気弱な自分をどうにか立ち上がらせてくれました。まさにケ・セラ・セラです。

そう思っても、苦闘は続きましたが、かなり楽にはなりました。

その開き直りがなければ、組合で使用者の暴言にさらされることはできなかった。人間否定をされても、言った人間と相対することができたのは、この「あきらめ」と「ひらきなおり」の気持ちを持てたからでしょうか。

きっと、この記事を読んでいる人のなかにも、人の批判や嘲笑、陰口にさらされている人がいるでしょう。会社と戦っている人ならなおのことです。思いがけず、人の上に立った人ならば、嫌われ者になってしまったかもしれません。

でも、追い詰められることはないです。落ち込むことは仕方ないですが、追い詰められて、自分を否定することはないです。

現状を笑い、あきらめ、そしてひらきなおる。時の経過も必要でしょう。

私も同じです。今も人に批判され、笑われています。多くの否定的な意見にさらされています。

どうせなら、一緒にあきらめてしまいませんか。そして、一緒に、じっと時がすぎるのを待ちませんか。

梅雨が明け、花火が上がり、涼しくなり、そして初雪が降るころには、状況は変わっているかもしれない。いや、きっと変わっている。良くなっている。街角の澄んだ景色を、ビル街の灯りを、ショッピングモールの暖かい光を、そしてイルミネーションを、今よりずっと楽な気持ちで、見ている自分が、きっと、いるはず。

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労働基準法違反・職場いじめで自分に負けないための考え方集



ブラック企業ランキングなんて無意味

よく検索される言葉として「ブラック企業 ランキング」という言葉があります。

しかし、ブラック企業にランキング、という言葉は、なぜか不思議差を感じます。どのような基準で順位をつけているのかが、まず気になります。

会社の労働法違反に苦しんでいる労働者にとって、自社がブラック企業ランキング何位か?なんて本当に意味がないことなのです。一時興味も出るかもしれないが、ランキングが上位であろうとなかろうと、自分に対して違法行為を繰り返していることは紛れもない直面している現実だからなのです。

一体皆さんはどのような理由でのこのキーワードを打つのでしょうか?転職を考えているが、申し込んだ会社がランキングされていないか知るため。好奇心・・・いろんな理由があると思います。

確かに、自分の勤めている会社や、転職を希望している会社がランキングの上位にあると、ショックを受けますね。

上位に名を連ねている会社は、おおかた、苛酷な勤務で自殺者や過労死者が出た会社であったり、社員研修がスパルタ式で苛酷であったり、長時間の残業を強いられたりする会社であったりします。

当の本人にとって、今苦しめられている会社こそが、ナンバーワンブラック企業のはずです。他社を見て、まだ自分のところはマシだ、と安心感を得るならば、まだ、余裕が若干あるのかもしれません。

よく、自社のブラック企業ぶりを自慢する人間もいますが、いったいどのような意図からでしょうか?本当に嫌ならば、会社時間以外は、会社のことなど考えたくもないことでしょう。

ブラック企業に勤めて夜遅くまで意図に反して働かされる、なんとつらいことでしょうか。私にはそのようなことは耐えられません。

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落ち着ける場所(あなただけの黄昏る場所)を持っていますか

私の趣味は、誰もいない、見渡しのいい場所で、ぼんやりとすることです。主に夕方~トワイライトの時間帯に、ぼんやりとします。

人はぼんやりとすることを、「黄昏る」と呼んでいるようです。

私の好きな場所は、無名地方都市の、田んぼ地帯の景色です。夕方にそこに行き、日が完全に沈むまで、立ちながら、もしくは簡易椅子を広げて、または直接地面に座って、遠くの景色を眺めています。

最も心が落ち着くときです。そんな時、今まで出会った人なんかを思い出したりします。思わず恥ずかしくなるようなことはなるべく思い出さず、ただ流れるままに、その場の空気に吹かれます。

幾多の労働紛争を経験してきました。その都度いろんな人に出会ったものです。味方になってくれる上司。ここぞとばかりに経営者に寄り添い、心の底から攻撃してきた同僚。今までよく話していたが、私が労働紛争に入った瞬間から露骨に冷たくなった後輩。

私にとってマイナスの対応をした人間を、当時は憎んだものです。今になっても・・・残念ながら彼らを許す気になどなることができません。しかし、このような人たちでも、しっかり私の人生の中で関わってきた人であり、素敵な黄昏の時間に、思い出す人なんだ、と思いました。

彼らのことはとうぜん好きではないが、黄昏の時だけは、彼らを思い出しても心が乱されません。恐るべし、黄昏タイムの癒し効果、というところですね。

皆さんは、日常生活の中で、ふと物思いにふけるような時間を持っているでしょうか?何も産み出さない時間、無駄な時間、といわれがちですが、トラブルに巻き込まれて苦しんでいる人にとっては、このような時間はとても大切だと思います。素直になることができるのです。

今は労働紛争の渦中から一線を引き、伝統武術の研鑽にいそしんでいるのですが、やはりこのような、黄昏の時間というのは、必要不可欠だと思うのです。

皆さんは、黄昏ることができる場所を持っていますか?落ち着くことができる場所を持っていますか?好きな飲み物をもって、ドーンと腰を下ろし、移り行く時間に身をゆだねてみてはどうでしょうか?気持ちはどんどん素直になっていきますよ。そこで湧き上がってきた感情があるならば、その感情に従ってみるのいいでしょうね。

正解は、あなたの心の中に最も多く存在していると思います。心のままに進んでください。

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労働紛争、「詭道」を脱する最善の方法は、司法手続きに持ち込む事

孫子の兵法では、「詭道」が戦いの本質の一つだと説いています。

労働紛争も、その語中に「争」の字が入っており、戦いであることは間違いありません。その過程では、脅し、仲間外れ、人格否定、約束破り、見え透いた嘘などが横行し、殺し合いが行われる以外は、本当の戦争で行われることと大した変わりはありません。

詭道であることを最大限に利用して有利に立つのは、やはり力が強い者の方です。労働紛争では会社側ですね。

よって、労働紛争では、力関係で不利な労働者は、詭道からなるべく脱した場所で戦うことが望まれます。詭道の真っただ中で戦ったことがある人はわかるのですが、そのような状況で戦い続けると、早晩深刻な精神的ダメージを被ります。

トラブル発生から訴えの提起までは、詭道であることを認識して、警戒する以上に警戒し、思いつく準備は極力実行し、最悪の状況を常に意識し、石橋をたたいて渡り、遠慮はしない。

そのような状態はずっと続けられないので、司法手続きの準備が整ったら、直ちに裁判所に出向き、適正手続きの原則が貫かれる司法手続きの場に戦いを持ち込みます。

司法手続きの過程では適正手続きの徹底が貫かれているため、脅しや不意打ちなどの詭道要素は徹底的に排除されます。司法手続きに持ち込まれると、今まで使用者側の詭道に一役買っていた心無い同僚も、おおかた口を閉ざし静かになるものです。

多くのサイトを見ますと、「裁判に持ち込まれて長引いたら労働者の負け」という記述がみられます。しかしそれは必ずしもすべて当たっているわけではありません。証拠等の確保、経済的な見通しが確立された労働者にとって、司法手続きに持ち込まれることは悪いことではないのです。

著名な交渉術である「ハーバード流交渉術」において、労働紛争に最も関連してくる「客観的基準を用いる」。

司法手続き以外の、私的な交渉の場では、客観的基準をないがしろにされがちです。ブラック企業の使用者は、客観的基準を侮っています。そんなもの、この会社では通用しない、と開き直るのです。

しかし、高尚の場が、調停や裁判、労働審判に及ぶと、使用者のそのような反論は、戯れ言となり、通用しません。

相手にしないでやり過ごしてきた今までのやり方が、司法手続きでは通用しないのです。

よって、持ち込まれることも、恐れる必要がないことをわかってください。

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労働組合・ユニオンを活用してブラック企業と戦う!

裁判所を利用してブラック企業と戦う!



戦略を学ぶ「銀河英雄伝説」~戦術より戦略レベルで勝利する

皆さんは、銀河英雄伝説という小説を知っていますか?田中芳樹さんの宇宙オペラ小説です。

宇宙に活路を見出した人類の、その後を書いた小説です。もちろんフィクションです。その時代にはゴールデンバウム朝銀河帝国と、自由惑星同盟が、互いにしのぎを削って戦争をしている、という設定の中物語はスタートします。

銀河帝国には、ラインハルトという、若くて金髪で美少年で、かつ戦争の天才の提督がいます。自由惑星同盟には、ラインハルトも一目置く、ヤン・ウェンリーという少し三枚目の天才用兵家がいます。その二人が、互いの本国の思惑に揺り動かされながら、戦いを展開していくのですね。

ヤンはラインハルトを戦場において巧みな戦術でほんろうするのですが、ヤンは、戦う前に戦略上での勝利を確実にして戦いに臨んでくるラインハルトの総合的な戦争の才能を痛感するのです。

「彼の考えていることは、わかっている。わかっているのだが、何もできない。何もさせてくれない。」

ヤンはふとこのようにつぶやき、ラインハルトに対する力の及ばなさといらだちを吐露するのです。ヤンは、本国の政治家たちの思惑や無能さに、心の中にある計算や見通しをいつも狂わされるのです。

ラインハルトはそれを百も承知で、ヤン個人ではなく、自由惑星同盟の政府に間接的な揺さぶりをかけるのです。

周到な準備と、手回しで、必勝の態勢をモノにし、そのうえで戦いに臨む。よって戦いでの戦術上の不利が生じても、戦略上でのアドバンテージでそれを覆い隠す。ヤンはバーミリオン会戦に臨む前に、「戦略上の敗北を、戦術上の勝利で挽回することはできない」と仲間に言っています。

私たちも、ブラック企業と戦うならば、戦略上での必勝態勢を作ってから戦いに臨みたい。必勝態勢が難しいならば、負けない態勢を作りたい。それは私のサイト「ブラック企業の労働基準法違反に負けない労働者の皆さまの応援サイト」でも何度も伝えてきました。実行するのは難しいのですが、戦う皆さまに是非とも取り組んでもらいたいからです。

ヤンは「不敗の魔術師」と言われています。「常勝の魔術師」ではないのです。不敗、と言われるのは、負けるとわかっている戦いをしないからです。ヤンの部下のフィッシャー提督は、部下に「ヤン元帥が不敗と言われるのは、負けるとわかっている戦いをしないからだ」と声高に叫び、偵察中の敵との遭遇宙域から離脱しています。

回復不能な負けを回避するための態勢づくりは、会社との不利な戦いをする私たちにとって、現実的な採るべき作戦となり得ます。私たちは、惨敗さえしなければ、転職するなどの防衛策がいくらでも採ることができるのです。惨敗してしまったら、家族すら失いかねません。自由惑星同盟が、無謀な帝国領侵攻作戦による大敗により、本国滅亡の要因を作ったように。

ヤンは、不利な場合でも、わずかな活路を見出し、それなりの戦果を出したら、さっさと戦場を後にします。ラインハルトは、「奴はいつも私が完全に勝利しようとする場面に現れて、邪魔をする」と、親友のキルヒアイス大将にその苛立ちを吐露しています。

ブラック企業と戦うにあたって、完全勝利は必要でしょうか?完全勝利など、戦略上の優位を確立しても、実現できないことすらあります。多くのケースにおいて、ブラック企業との戦いでは、私たちは戦略上、極めて不利な立場に置かれています。それは、企業が準備において優れていた、とかではなく、周到であって、かつ、自分たちの優位な点を最大限に利用してきた、ということだけあのです。

私たちは、置かれた状況の中で、いかにして可能な、最大限の抵抗と戦果を示せるか?それを考えるべきではないでしょうか?

よく、ブラック企業と戦うための解説書に、裁判で証拠を提出すれば勝てます、と書かれている場合がありますが、裁判で勝つ、は一つの結果の形態であり、戦う皆さんの数の分だけ、納得できる結果があると思います。

それが、効率よく被害を最小限にして逃げる、という結果を選択するのでもよいと思います。

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ブラック企業と戦う労働者のための「孫子の兵法」活用塾

労働者がブラック企業に負けないための「兵法的戦い方」講座