孫子の兵法では、「詭道」が戦いの本質の一つだと説いています。
労働紛争も、その語中に「争」の字が入っており、戦いであることは間違いありません。その過程では、脅し、仲間外れ、人格否定、約束破り、見え透いた嘘などが横行し、殺し合いが行われる以外は、本当の戦争で行われることと大した変わりはありません。
詭道であることを最大限に利用して有利に立つのは、やはり力が強い者の方です。労働紛争では会社側ですね。
よって、労働紛争では、力関係で不利な労働者は、詭道からなるべく脱した場所で戦うことが望まれます。詭道の真っただ中で戦ったことがある人はわかるのですが、そのような状況で戦い続けると、早晩深刻な精神的ダメージを被ります。
トラブル発生から訴えの提起までは、詭道であることを認識して、警戒する以上に警戒し、思いつく準備は極力実行し、最悪の状況を常に意識し、石橋をたたいて渡り、遠慮はしない。
そのような状態はずっと続けられないので、司法手続きの準備が整ったら、直ちに裁判所に出向き、適正手続きの原則が貫かれる司法手続きの場に戦いを持ち込みます。
司法手続きの過程では適正手続きの徹底が貫かれているため、脅しや不意打ちなどの詭道要素は徹底的に排除されます。司法手続きに持ち込まれると、今まで使用者側の詭道に一役買っていた心無い同僚も、おおかた口を閉ざし静かになるものです。
多くのサイトを見ますと、「裁判に持ち込まれて長引いたら労働者の負け」という記述がみられます。しかしそれは必ずしもすべて当たっているわけではありません。証拠等の確保、経済的な見通しが確立された労働者にとって、司法手続きに持ち込まれることは悪いことではないのです。
著名な交渉術である「ハーバード流交渉術」において、労働紛争に最も関連してくる「客観的基準を用いる」。
司法手続き以外の、私的な交渉の場では、客観的基準をないがしろにされがちです。ブラック企業の使用者は、客観的基準を侮っています。そんなもの、この会社では通用しない、と開き直るのです。
しかし、高尚の場が、調停や裁判、労働審判に及ぶと、使用者のそのような反論は、戯れ言となり、通用しません。
相手にしないでやり過ごしてきた今までのやり方が、司法手続きでは通用しないのです。
よって、持ち込まれることも、恐れる必要がないことをわかってください。