決して辞めない、もう一つの特殊技能(中国拳法)の練習

3日前からずっと風邪をひいています。

3年半前に風邪を引いたときは、朝の練習後に熱が出始め、大したこともなく、次の日には回復していたので夕方に練習したので、練習のストップは無かった。

今回は仕事に行く前から高熱が出たため、以後3日間練習はストップしたとしておきました。バイト先にも迷惑をかけてしまった。申し訳ない気分でいっぱいです。

26年連続で練習をしていると、それが日常の中で当たりまえになってくる。練習も辛くない(やっぱり辛い時もある)。朝の3時台に起きるのも当然となってくる。台風でも大雪でも、大寒波でも熱波の時でも練習する意志は変わらなかった。が、己の内からくる辛さには勝てないときもある、今回はさすがにさげた。

何か事をする時、やらない理由を見つけるのは実に簡単です。いろいろな理由があります。寒いから。明日朝が早いから。気分が乗らないから。人が練習場所にいるから。着る服が無くなるから・・・ほかにもいくらでも思いつく。以前は私もそのようなことを言っていた時期があった。

でも、話を聞くと、昔日の達人はそんなことはなく、毎日当たり前に練習していたらしい。そして私の身近にいる先生も、先生の先輩たちも、皆、当たり前に毎日練習している。

その中で、練習する拳法の術理が身に着くのでしょうね。その動作が自然となるから、いざという時に自然と出る。確かに、いざという時に、あまり練習してない不慣れな動作はできない。

外回りバイト中におっさんに襲われたときも、練習中にやんちゃそうな少年たちに絡まれたときも、出た動作はみな、もっとも練習した基本技だけだった。それは八卦掌の基本技であったり、柔道の受け身・そでのつかみ方であったりした。

おそらく、毎日の練習すらなかったら、それらの基本技すら出なかったでしょう。その場に居ついてしまい、固まって動けなかったと思います。相手に対処した時、その場で何か考えていた記憶もありません。後になって、「ああすればもっと良かったかな」と考えるだけです。

昔は、今よりももっともっと生命の危険が身近であった時代です。他流試合でも、命を落とすことすらあった。よって拳法を練習する者たちは、よりシビアに練習に取り組んでいたはずです

きめ細やかな法で守られた現代の日本で生きる私には想像もできないのですが、せめてその気概だけでも見習って、これからも毎日継続して練習していきたい。

今日はその決意の日にしようと思う。

きっと病み上がり後初の練習の時には、脚の筋肉痛はほとんど消えているでしょう。リフレッシュされたその脚に、再び積み重ねていきたい、術理の蓄積を。

拳が求める基本動作をもう一度吹き込んでいきたい。清朝末式八卦掌仕切り直しだ。やり直しだ。

練習が低調だったのはとても残念だったが、これを機に、ふたたび飛躍したい。

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