ブラック企業と戦う勇気が湧く励ましコラム」カテゴリーアーカイブ

すべてがうまくいくことを願った後の、美しい夕暮れ時

今日は、一日を通して、悩んだり、笑ったり、泣いたりした、感情の起伏の激しい一日でした。

こんな日はなぜか記憶に残ります。一日を終えて、まるで抜け殻のような状態になってしまった。

本職は、危機的な局面を迎えています。どうすることもできないので、なすがままです。すべきことはした。でも、人事を尽くしても、最悪の事態を迎える覚悟を決めきることができず、心が動揺して、悩んでいた。アルバイトの時間も、一人になってふと考える時間も、悩んだ。

辛い時の拳法の練習は、特に過酷です。基本の歩法練習時、脚の疲労感に耐えられないのです。今日は辛さのあまり、泣きながら我慢しようとした。そして我慢できなかった。自分に負けてしまった。負けたから、また泣けました。

でも、一日が悩みだけで終わったわけではありません。今日はそのあとに、嬉しい事もありました。

お世話になった方と話す機会があり、そこでたくさんの元気をいただきました。本当にうれしかったです。いつ話しても、太陽のような元気いっぱいの方です。

争い事を生業とし、それゆえ?孤独気味の私とはまったく真逆のタイプの人であり、それゆえ、尊敬をしていました。この方の周りに、常に人が集まるのも分かる気がします。今日も変わりなく太陽そのものでした。

この方も最近大きく環境が変わり、本当は大変なはずなのに、話の中では以前と変わらず、本音で、かつ屈託なく話されます。悩ましい状況は打開もされてないのに、ありのままで進もうとされていました。

頭がさがりました。わたしごときが余計なお世話ですが、少し安心もしました。

そして、すべてが望ましい方向に向かっている状況も、教えてくださいました。今日初めて知った事なので驚きましたが、またまたうれしかったですね。すべてがうまくいくことを、心の中で再び願いました。

今日は、この嬉しい事二つだけで、十分でした。午前中の悩みも、吹き飛びましたね。

その後、一人での夕暮れ時、ふと公園のベンチに座って太陽の沈む方向を見ると、あまりに美しい夕暮れ。今日はあれほど蒸し暑くてはっきりしない天気だったのに、なぜかこの時だけ、こんなにきれいな夕暮れを見ることが出来ました。

しばらく見入っていましたね。こういう時間というのは、自分の置かれた孤独な状況がよりはっきりと意識されてしまうので、とても気持ちが沈むのです。ましてや、楽しい時間の直後だったから、夕暮れのキレイさと相まって、ドーンと沈みました。

いろいろとその時その時で決断し、逃れて刃向って、クビになったり会社と戦ったりして、この場所にたどり着きました。

気が付いたらこんな場所に。

さて・・・・これからどうしようか。自分だけで決めないといけない。

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労働基準法違反・職場いじめで自分に負けないための考え方集



どんなに「いいこと」をしても、半分以上の人間は敵に回る。大丈夫。

アメリカの大統領であるE・リンカーンの言葉でこんなものがありました。

「世の中の半分に反対されるぐらいであるならば、とてもうまくやっている方だ」

半分の人に反対される・・・つまり20人いたら10人の人間が反対。100人いたら50人が反対する・・・。とても反対者が多いような気がしますが、リンカーンは、「それくらいならば、あなたはとてもうまく立ち回っているのですよ」と言う。

リンカーン自身、アメリカの半分を敵に回して戦争をしました(南北戦争)ね。その経験がある彼だから言い得る言葉でしょうか。

私は、社会人になって、この言葉の言っている意味が初めて理解できました。

働くようになれば、己の仕事を遂行するうえでどうしても人とぶつかってしまう。ましてや他人に仕事を教えたり、人を管理する仕事に携われば、嫌われたり避けられることは避けられない。

置かれた立場ゆえとはいえ、人に嫌われること、明確に反対されること、敵意をもって罵倒されることは、私には辛く、苦しい経験でした。

私は学生の頃、とにかく、嫌われたり陰口をたたかれるのが嫌いで、いや、怖くて、いつも同級生らには当たり障りのないことをはなしていました。今でも私生活では、人のことをとやかくは言いません。

しかし仕事となるとそうはいかないのですね。言わざる得ない状況に追い込まれる。皆、己の仕事を効率良くこなさなければならなかったり、少しでも楽して処理したいため、そこで人の思惑がすれ違ってぶつかり合う。

管理者であればなおのことですね。さぼりたい部下、ゆるく仕事をしたい部下がいれば、指摘し、時に叱責しなければならない。そこで直接的に煙たがられる。

私もその立場に置かれ、多くの人とぶつかりました。

一時は、半数以上、いや、7割以上の人間に嫌われましたね。口もきいてくれない。無視をされる。いまでも、そこにいけば白い目を浴びせられる。

腹が立ちましたよ。そして悔しかったですね。受け入れられなかったです。

リンカーンの言葉はすでに知っていたが、いざ自分がその立場になると、なかなか割り切ることはできなかったのです。

毎朝、起きて仕事に行くことが辛かった。怖かったし、嫌っている連中のそばを通ることが、できなかった。敵意を持ってみられることが、これほど心にダメージを与えるとは思わなかった。そう思っているうちに、被害妄想にもなってきました。

いろんな本を読んで、拳法をして、きれいな景色を見て、やけ食いをして、そんなことをしても解決はできませんでした。ある心理状態になるまでは。

その心理状態とは・・・・その状況に慣れてしまうこと。あきらめてしまうこと。

人間って、すごいですね。どのような状況にも慣れてしまうのですね。私の場合は、人に嫌われることに慣れただけですが、世界では、もっと過酷な環境・人間関係にも慣れて、それを受け入れて生活している人がいるのですね。

だからといって、「世の中にはもっと苦しい環境におかれた人もいるのだから、我慢しろ」と言うつもりは全くありません。そんな言葉、私にとっては何の励ましにもならなかったのですから。

ただ、今が苦しい状況ならば、自分の今の現状をまずバカにし、笑い、もういい、どうにでもなるさ、なるようになるさ、とあきらめて欲しいのです。

現状をあきらめ、「どうでもなるさ、だから私は私らしく進むのさ、反対する奴は反対しろ、そのかわり、こちらも言われっぱなしではないぞ!やりたいようにやるぞ!」と開き直る・・・そうすることが、こんな気弱な自分をどうにか立ち上がらせてくれました。まさにケ・セラ・セラです。

そう思っても、苦闘は続きましたが、かなり楽にはなりました。

その開き直りがなければ、組合で使用者の暴言にさらされることはできなかった。人間否定をされても、言った人間と相対することができたのは、この「あきらめ」と「ひらきなおり」の気持ちを持てたからでしょうか。

きっと、この記事を読んでいる人のなかにも、人の批判や嘲笑、陰口にさらされている人がいるでしょう。会社と戦っている人ならなおのことです。思いがけず、人の上に立った人ならば、嫌われ者になってしまったかもしれません。

でも、追い詰められることはないです。落ち込むことは仕方ないですが、追い詰められて、自分を否定することはないです。

現状を笑い、あきらめ、そしてひらきなおる。時の経過も必要でしょう。

私も同じです。今も人に批判され、笑われています。多くの否定的な意見にさらされています。

どうせなら、一緒にあきらめてしまいませんか。そして、一緒に、じっと時がすぎるのを待ちませんか。

梅雨が明け、花火が上がり、涼しくなり、そして初雪が降るころには、状況は変わっているかもしれない。いや、きっと変わっている。良くなっている。街角の澄んだ景色を、ビル街の灯りを、ショッピングモールの暖かい光を、そしてイルミネーションを、今よりずっと楽な気持ちで、見ている自分が、きっと、いるはず。

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労働基準法違反・職場いじめで自分に負けないための考え方集



落ち着ける場所(あなただけの黄昏る場所)を持っていますか

私の趣味は、誰もいない、見渡しのいい場所で、ぼんやりとすることです。主に夕方~トワイライトの時間帯に、ぼんやりとします。

人はぼんやりとすることを、「黄昏る」と呼んでいるようです。

私の好きな場所は、無名地方都市の、田んぼ地帯の景色です。夕方にそこに行き、日が完全に沈むまで、立ちながら、もしくは簡易椅子を広げて、または直接地面に座って、遠くの景色を眺めています。

最も心が落ち着くときです。そんな時、今まで出会った人なんかを思い出したりします。思わず恥ずかしくなるようなことはなるべく思い出さず、ただ流れるままに、その場の空気に吹かれます。

幾多の労働紛争を経験してきました。その都度いろんな人に出会ったものです。味方になってくれる上司。ここぞとばかりに経営者に寄り添い、心の底から攻撃してきた同僚。今までよく話していたが、私が労働紛争に入った瞬間から露骨に冷たくなった後輩。

私にとってマイナスの対応をした人間を、当時は憎んだものです。今になっても・・・残念ながら彼らを許す気になどなることができません。しかし、このような人たちでも、しっかり私の人生の中で関わってきた人であり、素敵な黄昏の時間に、思い出す人なんだ、と思いました。

彼らのことはとうぜん好きではないが、黄昏の時だけは、彼らを思い出しても心が乱されません。恐るべし、黄昏タイムの癒し効果、というところですね。

皆さんは、日常生活の中で、ふと物思いにふけるような時間を持っているでしょうか?何も産み出さない時間、無駄な時間、といわれがちですが、トラブルに巻き込まれて苦しんでいる人にとっては、このような時間はとても大切だと思います。素直になることができるのです。

今は労働紛争の渦中から一線を引き、伝統武術の研鑽にいそしんでいるのですが、やはりこのような、黄昏の時間というのは、必要不可欠だと思うのです。

皆さんは、黄昏ることができる場所を持っていますか?落ち着くことができる場所を持っていますか?好きな飲み物をもって、ドーンと腰を下ろし、移り行く時間に身をゆだねてみてはどうでしょうか?気持ちはどんどん素直になっていきますよ。そこで湧き上がってきた感情があるならば、その感情に従ってみるのいいでしょうね。

正解は、あなたの心の中に最も多く存在していると思います。心のままに進んでください。

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ブラック企業に「復讐」するのは、仕返しの意味だけじゃない

労働紛争を起こす時、動機は実に様々なものがあります。しかし、紛争を起こす動機の根本にあるものは、多かれ少なかれ『復讐』だと思います。

正義のため、または残された同僚のため、とか、様々な綺麗な理由もありますが、究極は「復讐」にたどり着くことが多い。

誰だって、人と争いなどしたくありません。争いは、テレビの中だけでしてもらいたいと思っているはずです。他人同士の争いを、火の粉のかからない安全な場所から部外者として安気に見ていたいのです。

しかしそうも言ってられない場合があります。それは自分自身がターゲットになった場合。

今までは傍観者としてみていた労働者も、自分がターゲットにされたならばボーっとしているわけにはいきません。しかし多くの場合、労働者と使用者の力の差は違いすぎて、それがためになすがままにされた挙句、会社を自主退職するパターンに追い詰められたりします。

人間の気持ちがこれでおさまるはずがありません。そこには程度の差こそあれ、使用者に対する憎しみの感情が湧きます。

労働者が追いつめられた不当行為によって、失うものが大きければ大きいほど、憎しみの感情は高まります。そして強い憎しみは、やがて復讐心を湧き起こします。

憎しみにとらわれすぎていると、次の世界に進めないのですね。前向きな気持ちになどなることはできない。

「復讐」が意味を持つのは、この点だと思います。形はどうあれ、復讐のための弓を引き、矢を放つことで、その矢が当たらなくとも、労働者は一定の満足を得ることになります。

自分の心の中に湧いた憎しみに、ケリをつけることができるのですね。

弓を引くことで、やりたい放題にしてきた傲慢な使用者は、初めて今回の一連の行為に対して、敵意を向けられることになる。その対応に時間をとられることになる。

こういうことがあるから、専門家と顧問契約を結ぶなどにお金を使わなければならなくなる。下手をすれば(極めてまれだが)、労働基準監督署から叱責を受けることがある。外部労働組合に会社の門前でシュプレヒコールを挙げられ、近所の噂話のネタにされるかもれない。

それらは、労働者が受けた屈辱や損害に比べると、微小なものかもしれない。しかし、やり返した事実は間違いない。一矢報いたのだ。例え反撃の成果が何もなくとも、された行為に反発してやったのだ。

労働者の心を、人間の心を、なめるなよ!

私がこのブログや自サイト『ブラック企業の労働基準法違反に負けない!応援サイト』を運営している理由も、「人助け」というよりも、使用者に対する健全な「復讐」をサポートするため、という動機が大きいです。

私もとても気が弱い人間なのです。労働紛争を戦った経験は豊富ですが、いつも影では震えていました。同僚の心ない態度には、大いに自尊心や自信を傷つけられたものです。早く終わらせたい、黙っていればよかった、といつも後悔していました。

そんな屈辱や、受けた大きすぎる損害を受け入れるためにも、不当な扱いにはNO!を突き付けてきました。服従する気持ちなどさらさらないのです。

どうしても苦しいときは、「復讐」にも、意味を見出してほしいのです。

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「お金が使い切れないくらいあったら、生涯をかけて何をする?」の想像も励ましになる

よく、生涯をかけて何をしたい?という問いを見かけます。

私もよく考えることがあるのです。以前この記事を書いたときは、明確に答えが出てきませんでしたが、今でははっきりと答えが出てきます。しかし、多くの人は、すぐに思い浮かばないのではないでしょうか?

すぐに出てこない原因として、世間の目・生活費の問題などが挙げられますが、最も人を縛るのは、生活費の問題だと考えています。

あなたが思いを巡らすことができるように、「お金が使い切れないくらいあったら」という仮定を、問いの頭に付けて考えてみましょう。

つまり、あなたが頭で色々考える際に、生活費の呪縛から解放させ、心の声によりダイレクトに問いかけることができるようにするのですね。その呪縛取り除くと、意外と「何」が見えてくるのです。

なぜこのようなことを、手間をかけて考えるのでしょうか?それは、この問いかけがすることが、ブラック企業の労働基準法違反に今まさに苦しんでいる皆さんの励ましになるからなのです。

改めて、皆さんは、お金が使い切れないくらいあったら、生涯をかけて何をしますか?

このブログを見ている人ならば、まずはブラック企業を、お金にものを言わせて責め立て、日ごろの不当行為の報いを受けさせてやるかもしれませんね。そして、気持ちの整理がついたら、ゆっくりと成したいことを考えるために旅に出るかもしれません。

そう考えるだけでも、気持ちが癒されませんか?ブラック企業とかかわっているこの時間の向こうに、はるかに大きく拓けた世界が待っているのです。それは間違いありません。誰でもそうであると思っています。

私は・・・今生活費の呪縛もないならば、ひたすらに八卦掌の練習に打ち込むことでしょう。練習の時間以外は、八卦掌関連の文献を読み、いじめを受けて苦しんでいる学生に無償で拳法を教え、意欲ある者のために、全国をまたにかけて指導するでしょう。

練習時間・指導時間以外は、落ち着いた音楽でもかけつつ、労働紛争とまったく関係のない、内容の優しい穏やかな本を、ゆっくりと読むことでしょうね。

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「労働組合の潰し方」で検索してたどりついたあなたへ

こんにちは。あなたはもしや、「労働組合の潰し方」で検索をしてこのブログにたどり着いた方ですか?

もしあなたがそうであるならば、言いたいことがたくさんあるんだ。

あなたは会社の経営者?それとも、総務・人事担当者?弁護士?社会保険労務士?それとも経営コンサルタント?

あなたがどの肩書であっても、関係ないんだ。言いたいことは変わらないんだ。

なぜ、あなたは労働組合をつぶそうと考えるのですか?つぶしてしまえば、力でねじ伏せてしまえば、すべてが解決、と思ったのですか?

そもそも、あなたの会社で、なぜ労働組合が結成されたか、考えてみて欲しいんだ。労働者がこざかしい知識を身に着けたから、結成されたのですか?

多くの場合、そんな軽々しい理由じゃないよね。

労働者にとって、労働組合を結成することは、大変勇気のいることなんだ。それこそ、己の職業人生を賭けての行動である場合がほとんどなんだよ。

組合を結成すれば、確実に使用者に嫌われる。下手すれば、同僚らからも孤立してしまう。そんな危険を冒してまでも、なぜ結成するのだろうか?

それは、あなたの会社が、人間の我慢の限界を超える行為をしているからだよ。もう耐えられない、しかしおいそれと仕事を辞められない、だから、泣く泣く結成したんだ。震えながら結成したんだよ。

そのことを考えたことがあるのかな?

考えたことがないのなら、今ここで考えてみて欲しい。あなたを労働者の立場に置いて考えてごらん。もしあなたに家族がいたら、もっとリアルに考えることができるよね。会社をおいそれと変わることなどできない、と分かるよね。それなのに、あなたたちは、「気に入らないなら辞めてもらっていいよ」と簡単に言うけどね。

ハッキリといおう。

労働組合を結成することは、憲法、労働組合法で定められた、正当な労働者の権利だよ。

しかし片や、労働組合をつぶすことは、労働組合法で「不当労働行為」と定められた違法行為なんだよ。

あなたがたは、労働組合について語る時、屁理屈や己の傲慢な価値観をもとに、批判をするよね。しかしそんな理屈になんの正当性もないよね。全くない。「組合なんてあったら、経営ができないだろ」・・・だったら日本で会社を経営することなど、やめてしまえ!

あなたが人事担当者だったら、想像してごらん。あなたはその会社で安泰ですか?今まさに経営者が労働者にしていることが、あなたに降りかからない保証はあるのかな?あなたは特別ですか?そんなわけがない。あなたも全く同じ労働者。いつ何時、不当な行為にさらされるか分からない。少しは想像力を働かせなさい。

私は組合闘争をしてきた。絶妙な組合つぶしの方法をいくらでも知っているよ。教えてあげようか?

でもね、組合つぶしをして事態を収めた会社の末路は悲惨なものばかりだった。拭い去れない怨みを買い、会社内は猜疑心と無力感に支配され、外部労働組合や監督署の脅威にさらされることになるよ。

だからやめた方がいい。一番いい方法は、組合をつぶすことなど考えないことだ。それよりも対話をすること。それが最も事態をうまく収める方法だよ。

その勇気ある決断が、今ならできるよ。あなたが経営者なら、今度の団体交渉で、問題を人を切り離して、徹底的に話し合うことだよ。

あなたが人事総務担当者ならば、経営者に対話の重要性をさとしてごらん。

まだ間に合うんだよ。大きな怨みを買ったり、近所に醜態をさらす前に、今までの考えと違った考え方をしてごらん。

組合をつぶせば、組合所属の労働者、その家族に、ずっと恨まれることになるよ。外部労働組合があなたの会社を取り囲み、苛烈なシュプレヒコールを上げるでしょう。そうなったら、近所の誰も、あなたの会社にパートに来なくなる。

労働委員会の救済決定がなされた後に、あなたが組合員にしぶしぶ謝ることになったら、あなたの会社内での権威はがた落ちだよ。そんな経営者を見てきた。20年経っても、ずっとずっと笑いものにされていた経営者を知ってるよ。

これは忠告だよ。違った決断をしよう。人間としての思いやりを取り戻そう。労働者の家族にも、あなたの家族とまったく同じの喜び・信念・楽しみ・夢があるんだ。あなたが思いやりのない組合つぶしをしたら、そんな人たちを傷つけることになるんだ。

言っとくけど、不当な行為で職場の奪われた労働者の家族は、あなたが思っている以上に、悲惨な影響を長い時間受け続けるんだよ。経営者ごときの人間に、そんなことをする権利もない。何様のつもりだ!

もしそんなことになったら、絶対に怨みは消えない。

そして、私も、あなたたちを決して許さない

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「地上の星」は、誰にも評価されない名もなき労働者たちの歌

中島みゆきさんの『地上の星』は、発売されたときはそんなに目立った歌ではなかったが、ドキュメンタリー番組「プロジェクトX」の主題歌としてじわじわと売れ続け、とんでもないロングセラー曲となりました。

途中でプロモーションビデオの内容も変わったくらいです。中島さんは紅白中継で黒部ダムにて歌い、またそれがヒットに影響を与えました。

しかし私は、「プロジェクトX」で取り上げる主人公たちと、この歌で歌われる名もなき星たちが、ミスマッチのような気がしてたまらなかったのです。もちろん、世間はそんなこと感じてもいなかったでしょう。あくまで私だけの考えです。さらっと聞き流してくださいね。

『地上の星』で歌われる星(英雄)たちは、本当にマイナーな人間たちだと思います。マイナーだけだったら、プロジェクトXの主人公たちもマイナーです。しかし彼らは、後世に語り継がれる大工事・大事業・技術革新を成し遂げ、そして評価されています。

私の考える『地上の星』の星たちは、それすらもない。マイナーで、かつ自らが行った仕事について、世間から評価されることもほとんどない。直接感謝もされない。ましてはテレビで取り上げられることもない。社会にとって必要な仕事をしているが(仕事に不必要な仕事などないだろうが)、ちやほやもされず、空気のように必要なのだがあまりに目立たなく当たり前すぎてほとんど誰にも意識されない存在。

私は、そんな風に歌を、星たちを解釈していたから、歌が番組中で流れても、鳥肌が立ったりすることはなかった(もちろん、番組中の主人公たちの努力と情熱は、すさまじいと思ったが)。番組自体もほとんど見ませんでした。同じ理由で、カンブリア宮殿やガイアの夜明け系の番組も見ません。

私はこの歌が流行っている頃、非正規雇用の機会工として働いていました。そこで目の当たりにした景色も、この気持ちを確信させているのでしょう。

そこでは、非正規雇用の日本人労働者も、外国人労働者も、皆一生懸命働いていました。仕事をこなすことが精いっぱい。課せられた作業目標を達成すれば、即座にトヨタの『カイゼン』の餌食になり、また難題を突き付けられる。当然、私たちは小間使いゆえ、いつまでたっても褒められることはありませんでした。

しかしそこで働いていた非正規の仲間たちは、抱えているモノ、守るべきモノ(家族・誇り・夢・恋人)のためを思って、会社に評価されなくとも黙々と、時に弱音や愚痴をいいながらも人間らしく働き、すべきことをこなしていたのです。

私はあの人たちの姿を思い出すとき、『地上の星』が頭の中に流れる。そして、その時こそ、胸が震え、鳥肌が立つのです。

その後も私は、多くの「名もなき星」たちに巡り合い、時に意気投合し、時に大きな影響を受けてきました。

いろんな人がいました。

故郷に家を持つために、真夜中のコンビニで働いていたシングルマザーの人。娘の夢(大学卒業して大学院に行き研究者になる)を実現させたいがために、労災隠しをされても会社にしがみついて所得を守った、会社の人事課のアホ若造曰く「無能なおやじ」。トヨタ系の得意先に横柄に怒鳴られても、いつも笑顔で皆を不快にさせないことを心がけていた、品質管理の再雇用のおじいさん。

私にとって、この人たちは、まさに『地上の星』。

この人たちは、このような事情があって耐え忍んでも、誰も評価してくれない。多くの人に、「だから何?」で片付けられるだろう。でも、そこに私は、心を揺さぶられる。彼らも、自分の目指すべきものに対して向き合う、『挑戦者たち』だ。

きっとこの人たちを題材にして「プロジェクトx」が作られ、そして『地上の星』がバックミュージックで流れたら、泣いてしまう。

いや、この記事を打っている今でも、目頭が熱くなっている。今この人たちは、どこへ行ったのだろうか。

・・・・この記事を書いてから、早いもので、5年たちました。最初に書き始めてから、何度も加筆し、「地上の星」たちにわたしなりの応援歌を歌ってきました。

彼らのあの時の、誰にも評価もされないけど黙々と己の目標への突き進む姿勢に感銘を受けて、私自身の究極の目標へと向かって、人のいない場所で練習に打ち込んできました。

一定の段階へと至り、今やっと、自分のしたいことのスタートラインに立つことができました。きっとこの成果は、「地上の星」たる名もなき労働者の皆さんからもらったもの。ありがとうございました。これからも、忘れません。

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