労働紛争を起こす時、動機は実に様々なものがあります。しかし、紛争を起こす動機の根本にあるものは、多かれ少なかれ『復讐』だと思います。
正義のため、または残された同僚のため、とか、様々な綺麗な理由もありますが、究極は「復讐」にたどり着くことが多い。
誰だって、人と争いなどしたくありません。争いは、テレビの中だけでしてもらいたいと思っているはずです。他人同士の争いを、火の粉のかからない安全な場所から部外者として安気に見ていたいのです。
しかしそうも言ってられない場合があります。それは自分自身がターゲットになった場合。
今までは傍観者としてみていた労働者も、自分がターゲットにされたならばボーっとしているわけにはいきません。しかし多くの場合、労働者と使用者の力の差は違いすぎて、それがためになすがままにされた挙句、会社を自主退職するパターンに追い詰められたりします。
人間の気持ちがこれでおさまるはずがありません。そこには程度の差こそあれ、使用者に対する憎しみの感情が湧きます。
労働者が追いつめられた不当行為によって、失うものが大きければ大きいほど、憎しみの感情は高まります。そして強い憎しみは、やがて復讐心を湧き起こします。
憎しみにとらわれすぎていると、次の世界に進めないのですね。前向きな気持ちになどなることはできない。
「復讐」が意味を持つのは、この点だと思います。形はどうあれ、復讐のための弓を引き、矢を放つことで、その矢が当たらなくとも、労働者は一定の満足を得ることになります。
自分の心の中に湧いた憎しみに、ケリをつけることができるのですね。
弓を引くことで、やりたい放題にしてきた傲慢な使用者は、初めて今回の一連の行為に対して、敵意を向けられることになる。その対応に時間をとられることになる。
こういうことがあるから、専門家と顧問契約を結ぶなどにお金を使わなければならなくなる。下手をすれば(極めてまれだが)、労働基準監督署から叱責を受けることがある。外部労働組合に会社の門前でシュプレヒコールを挙げられ、近所の噂話のネタにされるかもれない。
それらは、労働者が受けた屈辱や損害に比べると、微小なものかもしれない。しかし、やり返した事実は間違いない。一矢報いたのだ。例え反撃の成果が何もなくとも、された行為に反発してやったのだ。
労働者の心を、人間の心を、なめるなよ!
私がこのブログや自サイト『ブラック企業の労働基準法違反に負けない!応援サイト』を運営している理由も、「人助け」というよりも、使用者に対する健全な「復讐」をサポートするため、という動機が大きいです。
私もとても気が弱い人間なのです。労働紛争を戦った経験は豊富ですが、いつも影では震えていました。同僚の心ない態度には、大いに自尊心や自信を傷つけられたものです。早く終わらせたい、黙っていればよかった、といつも後悔していました。
そんな屈辱や、受けた大きすぎる損害を受け入れるためにも、不当な扱いにはNO!を突き付けてきました。服従する気持ちなどさらさらないのです。
どうしても苦しいときは、「復讐」にも、意味を見出してほしいのです。