「シェリー」を聴いて、転がり続ける自分の生き様を自覚する

4月から本職が大打撃を受け、収入は減り、人のつながりはなくなり、ほとんどフリーアルバイターの状態となってきました。

誰にも言えない状態が続いています。私が接している人間のつながりは、今はアルバイト先がほとんどになっています。まさかそのアルバイト先で悩みを言えるはずもない。見栄を張っているわけではないですが、とても言えない。

それでも、毎日のすべきことは、次から次へとやってくるんですね。その場でうずくまり続けるわけにもいかない。本当は、そうして、思いっきり悩んで、人に悩みを聞いてもらいたい。でも、誰も、私のことは聞いてくれるわけもなく、また、巻き込むわけにもいかない。

勉強中、練習中、本職中、などの一人でいる時間は、やはり辛さがこみあげてきます。自身の経験から一つの目標を立て、地味で辛い日々の行動を積み重ねてきたが、結果が出なかったり、成果が大幅に消えてしまうと、さすがに落ち込んでしまう。

パソコンを使って行う作業の時は一人っきりだから、いつも音楽を聴いています。いつもはクラッシックなどを聴いているが、今はそれを聴けない。今は、ひたすら尾崎豊を聴いています。それもほとんど、「シェリー」ばかり。今この記事を打っているときも、尾崎です。「シェリー」です。誰にも話せないから。だから、「シェリー」とともに、時間を過ごします。

尾崎豊・・・説明するまでもない、カリスマ。私が中学生~高校生にかけて、多くのソウルフルソングを歌いあげ、そしてあっという間に消えてしまった人です。

尾崎が死んだときは、本当にショックだった。そのショックを、大して親しくもない同級生に思わずそのショックの気持ちを話したとき、「お前ごとき真面目なクソが尾崎を語るな、悲しむな」と言われ、殴り合いのケンカをした記憶がある。卒業して、会社の慰安会のカラオケで「愛の消えた街」をうたって上司に歌詞の内容をぼろっかすにけなされたときもケンカしたなぁ(殴り合いじゃないよ)。思い入れは強かった。

学校を卒業して社会人になってからも勉強していて、その目標に何度も弾かれて、家族からも愛想をつかれ、孤立していた時、やはり尾崎を聴いていた。その時も「シェリー」をたくさん聴いていた。

なぜ尾崎・・・いや、なぜ『シェリー』なんだろうか

私はいつも、何かしらの目標がないと行動できない人間だった。そしてその目標は、一般社会受けするような目標ではなく、一般社会の大人たちから「子供じみている」「大人になれよ」「そんなことを言っていてメシが食えるか!」と批判されるような目標だった。今私が持っている目標も、まさに批判の対象にされるでしょう。だから誰にも話していないが。

そんな批判される目標を持って生きてきた私は、常に接する人からさげすまれ、攻撃されてきた(一人だけ、本当に一人だけ、理解してくれる上司がいたが、その人もいなくなってしまった)。

・・・そんな状況が、まさに『シェリー』だったんですね。

転がり続ける生き様。どんどん一般的な幸せ路線から外れ、常に不安定で、孤独。結果も出ないのに、それでも行動を止めることもできない。本当にもがいている感じがします。

そんな生活の中で、心の痛みは嫌というほど知ったから、人に対しては決してごう慢にならず、思いやりを持ってきたつもりだった。悩んでいる人が私に話しかけてきたら、心を込めて話を聞いてきた。『こうしたいんだ』という人がいたら、『そうすればいい、答えはでているじゃないか』と心の底から共感し、応援してきた。

でも、自分のことになると、弱くなってしまいますね。

私にとって、『シェリー』は誰だろう?

尾崎にとって『シェリー』とは誰だったのだろうか?その点については、いろいろと説があります。恋人、が一般的ですが、母親、という説もある。人間以外のもっともっと大きな存在、という説もあります。今となっては、分かる術もありません。

私にとって『シェリー』とは、優しい言葉をかけてくれた記憶の中の人達、今まで見た感動的な景色、そして、尾崎を聴いて感動して夢を打ち立てて震えていた昔の自分、かもしれません。

今日も、私の『シェリー』に向かって、叫びます。

「不安だ。先がどうなるか、まったくわからない。今自分がやっていることが、本当に実になり、目指すべき場所に行けるか分からない。道の途中で、力尽きるかもしれない。明日にも気持ちが切れてしまうかもしれない。いつまで、壁のこちら側の空ばかりを見てないといけないのか?いつになったら、向こう側の空を見ることができるのか?いつまで、この場所にいなければならないのか?いつになったら、人がたくさんあふれる場所に行けるのか?」

尾崎のように「愛すべきものすべてのために歌う」ことはできないが、これからも、愛すべきものすべてのために、人に評価されずとも、弱音を吐きつつも、進みたい。

それにしても、尾崎、どこに行ってしまったんだよ。また戻ってきて欲しいよ。また「シェリー」を聴かせてほしいよ。

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