大嫌いな言葉「問題は多いが、仕事はできるから」・・・仕事ができれば人を不快にさせてもいいのか?

私の大嫌いな言葉です。

「あいつは人間的に問題はあるが、仕事はできる」という言葉。

その言葉をきくと、仕事ができれば、人を不快にさせても、言動によって人を傷つけても、許されてしまうかのような印象を受けるのです。

でも、私は長年の職場での経験で仕事が人より多少早くできても、ズケズケと容赦のない言葉を浴びせたり、物覚えの悪い同僚を陰で攻撃するような人間は、まったく尊敬もできない。不愉快であります。

人より仕事が速くこなせるのが一体どうしたというのだ?

この人間が思いやりのない言動で同僚を追いつめ、苦しめ、いじめたりすることは、どんな偉大な手柄であっても打ち消してしまう。それくらい罪深い。

仕事ができるからといって思いあがっている人間、昔からその職場にいるからといって配慮を忘れた人間は、職場環境の点からみると本当にマイナスであります。

その職場はその人間一人のおかげでピリピリし、周りの同僚らは思い上がったその人間の誹謗中傷を恐れ、愛想笑いをし、媚を売り、思ってもないことで賛同する。

本当は皆、その人間が嫌いなはずなのに、攻撃されるのを恐れ表面では卑屈になり、話を合わせる。

私も、そのような人間に調子を合わせたことがある。

なんとも屈辱的だったことか。

ある時、陰で人格まで否定されていることを知り、苦情を言ったことがある。その場は相手も反論してきたので、双方怒鳴り合いの大ゲンカとなった。

そして次の日には、会社内の半分の人間から総スカンを食らったものです。

しかしその時不思議なもので、後悔も何もなかった。私の心は喜んでいた。これが私なりの対応なのだから、悔いなどない、と思った。

むしろ黙って笑って、適当に話を合わせる方が屈辱だった。

仕事ができると言われているからといって思い上がっている人間など、私の中では何の影響も受けない。見たくもない。

昔から長いことその場所で働いているからといって我がものに歩く人間は、どうみても井の中の蛙である。

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