社内イジメの担い手として、欠かすことのできないお局様。
あなたはなぜにそれほどまでにお局様を恐れるのでしょうか?
すこし考えてみたいと思います。
お局様に嫌われると、その瞬間以後、お局とお局に逆らうことのできない意気地なしの同僚らよるいじめが始まるからです。
それが何よりも恐ろしいから、皆一生懸命、お局様の機嫌を取ります。
しかしお局という井の中の蛙は、人にちやほやされて、気を遣われ、他人に気配りをする、という思いやりを忘れています。
人に文句をつけたくてしょうがありません。
人間は誰でも自分が一番正しいと思っている生き物です。私もそうですし、あなたもそうです。しかし人に対する配慮から、公の場では心配りを見せるのです。それが普通です。
しかしお局は心配りを見せる必要がないから、人を傷つけることもなんでもかんでも言いたい放題なのです。
インターネットの掲示板やコメントを見てください。顔が見えないのをいいことに、人を見下したどうしようもない意見があふれんばかりに投稿され続けます。
フェイスブックですら、顔の載せない投稿者の意見は、傲慢で不愉快ですね。
配慮をしない人間の暴走は、もはや止めることはできません。
お局に嫌われないようにすることは至難の業。嫌われないためには、お局の意見にイエスマンになって、一緒にイジメに加担するか、見て見ぬふりをしつつ媚を売るか、だけです。
でも、それができない人だから、あなたはこのブログを見てくれたのだと思います。
お局に好かれることなど放棄しましょう。
お局には仕事上は普通に接します。相手が年上であったり、職場の先輩であるならばそれに対しての敬意は払います。しかしそれだけです。
理不尽な行為に対しては、きっぱりと不快な気持ちを伝えます。
『そんなことをしたら、社内で生きていけない・・・・』
そんな意見が聞こえてきます。わかりますよ。
生きていけなくなります。しかしもはや「賽は投げられた!」のです。
お局を前にして、言いましょう。
「あなたの理不尽な嫌がらせに、屈服するつもりはありません。あなたはこれからも私を同僚ぐるみでいびり続け、私を退職に追い込むかもしれません。しかし私は、たとえ退職に追い込まれても、必ずあなたのその行為の責任を追及する覚悟です。勝ち負けは問題でなない。たとえお金を多く失おうとも、時間を多くなくそうとも、辛い気持ちになろうとも、あなたのいじめを絶対に許さない。差し違える覚悟である。」と。
会社を変わるのは大変であります。
私も、不当な行為に屈し、変わったこともあります。しかし、我慢し続け己の信念を曲げて、いじめに加担するよりは、断然によかった。誇りを失わずに済んだのです。
「断じて行えば、鬼神もこれを避く」
鉄の意志の前に、間違いなくお局は心の中で穏やかな気持ちを失います。
周りのイエスマン同僚らは、あなたを批判するかもしれません。しかし「千万人と言えども我行かん」です。
己の行為を振り返って正しいと思えば、千万人が反対しようとも突き進め。進撃の歩を休めるな。多くの人間に笑われ馬鹿にされても、本当にあなたのそばにいる人は分かってくれる。私もあなたの勇気に共感するよ。誰がお局とその取り巻きなどにかっこよさを見出すものか!
子供の頃に思った単純な正義感に突き動かされて欲しい。社会のしがらみや平均値など意味もない。
ぼろぼろになりながらも、会社を追われながらも、お局の心に、正義の意志に基づいた一突きを食らわしてやれ。その一撃は、あなたの誇りをとりもどし、これからの生き方を決めるとてつもなく大きな一撃になるでしょう。
今まさにお局のいじめで何かを失くそうとしている人が読んでくれているのならば、届いてほしいです。
目標はただ一つ!この悔しい気持ちを、お局にくらわすこと!思いのたけよ、こん身の一撃となってお局にぶち当たれ!