一つの夢を追いかけていた記憶~岡崎の町は、今もそこにあった

本当に本当に久しぶりに、岡崎の町を見下ろした。

もう何年となるだろうか?この土地を捨てて旅立ち、今は違う道を歩む私。

この土地に帰ってきたわけではありません。長い旅の途中で、ふと少し懐かしくなって立ち寄っただけ。これからの人生も、よりどころもなく、ただ遊子のごとくさすらうのみ。

十年近く、通った。一年の努力の結果を見るために、毎年通った。結果はすべて不本意なものとなったけど、今となっては「それも人生さ」。

この場所から見る岡崎の町は、いつも白くて、山も見えて、人の営みも見える。JR線が走っている。新幹線が通り過ぎる。矢作川はゆったりと流れていて、橋は車でいっぱいだけど、河川敷に目を向ければ、そこにはゆっくりとした時間が流れていた。

私は居心地のよさそうな場所を見つけゆっくりと腰をおろし、ふーっ、と静かに息を吐いた。なんともリラックスできる。そして、目の前に見える小さな青い花(おそらくオオイヌノフグリ)を見て、心の命じるままに後ろを振り返ってみた。

ここ数年、同じことしか書いてないようなビジネス本の毒にかかり、目標設定だ、金持ちだ、名を残すだ、等の野心めいた考えたちに心を揺さぶられていた。そんなもん、今はどうでもいい。

自分を見つめなおす時間を長く過ごしたわけではない。そのような時間を持つ時間の余裕もあまりなかったし、心の余裕もなかった。とにかく明日食べていくことを必死で考え、ただ生きていただけだった。修めるべき技術の練習だけは欠かさなかったが、生きがいやら、肩書きやらを求める気持ちはほとんど失せていった。

無いお金の中で、孤独の中で、すべき義務を淡々とこなす。毎日昨日よりも上達を目指して歩き続ける。今の自分にはそれだけで十分すぎる。これ以上、何を求めろと言うのか?

これだけいろんな考えや葛藤、そしてみっともない行いをしても、岡崎の町は見た目にはほとんど変わらず、あの時のように、ただそこにあった。

さあて、去るとするか。ありがとう、岡崎の町。今度来るときも変わらず私のままだろうが、それでいい。その時はまた、迎えて欲しい、岡崎。

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