「時間は人を裏切らない」・・・そんな言葉が大好きです
昨今、ネット上を見ると「効率よく行え」とか、「できない人はどこがいけないのか」たぐいの言葉があふれ、行動することだけでは何の価値もないことだと思ってしまうような風潮が感じられます。
しかし私は、いろんなことにチャレンジして、失敗して、それなりの結果が伴って、分かったことがあるのです。それは
・・・・とにかく行動することが何よりも重要で、何をするか、どのようにしなければならないか・・・は大して重要でない、ということ。
何をするか、とかどのようにしたらうまくいくかは、行動して、その人自身が失敗やら成功やらを繰り返して初めて分かることだと思った。人から言われてわかるものではないし、人から言われたことに縛られていると、自分なりの経験が得られないと思った。
当然時間はかかる。しかし、他人がお金と引き換えに教えてくれるノウハウよりも、自分で紆余曲折の末にたどりついたノウハウのは、どれほど価値があるか、痛感したのです。もちろん、その人が見つけ出した方法は、その人が自身が用いて、最大に価値を発揮するでしょう。
ネットの普及で、己が望む結果やモノを、性急に得ようとする風潮が高まり、時間をかけることが望ましくないかのような風潮が見え始めています。速いのはいいのかもしれないが、速さだけにとらわれてしまうのは、最も価値のあることを経験できない危険をはらんでいると思うのです。
このブログを読んでいる人は、労働法違反がらみのキーワードを打って、たまたま当ブログにたどり着いた、という人もいるでしょう。ひょっとしたら、今まさに、会社と仁義も慈悲もない戦いをしているかもしれない。
労働紛争にも、「時間は人を裏切らない」という名言が励ましとなってくれるでしょう。
労働紛争に時間をとられ、その戦いで勝利を得ることができなくても、貯蓄を失っても、家族のきずなを破壊されても、そこから何かが見えてくる。もちろん、辛い思いをしなければ得るものがない、と言ってるのではありません。どんな状況に追い込まれても、そこで経験したことがこれからの人生に何かしらの影響を与えるものとなる、と言ってるのです。
辛い思いにさらされた時間の長さは、経験した者にしか分からないほどの長さがあります。抜け出せないかのような時間のドロ沼の中で、もはや想い出すら思い出すこともできないくらい視野が狭くなり、憎しみや復讐心ばかりが増幅していく。
そしてそれらの後ろ向きな気持ちが極限に達した時、何かがフッと切れるような感じになり、どこかで区切りをつけたくなったり、相手(会社の経営者ら)に憐れみの感情が湧いたりしてくる。
その時湧き上がる感情には、人によって個人差があるようですね。多かったのは、相手に対する憐れみや、飽きの感情でした。
「もういい、この紛争はここで終わらせる。もう十分だ。私は十分戦った。言いたいことも言った。相手の交渉態度があまりに醜悪で、惨めさというか、かわいそうになってきた。この人間は、きっとこれからも多くの毒を吐き、それゆえ、死ぬときにはその死に顔に心の中で唾を吐かれるだろう。私は、そんな人間とかかわっているほど、暇ではない」
キリストやブッダの教えからすれば、このような考えなど、まだまだ悟りとは言えないでしょうね。でも、悟りをひらくつもりなどない私にしてみれば、こう言って紛争から去って行った人たちが、とてもまぶしく見えた。
苦しみに時間を割いたものだけが味わう、戦いの中におけるほんのわずかな甘い時間。嫉妬すら感じたのです。
「時間は人を裏切らない」・・・・シンプルな言葉だけど、きっと多くの労働紛争渦中の人が、自分なりの区切りや悟りを得るための、ヒントとなりそうです