学校の勉強は、無意味ではなかったのかな? 好きな分野を知るキッカケとして。

学生の時、時間が過ぎるのを忘れるような勉強がただ一つだけありました。それは歴史。特に世界史がそうでした。

世界史は、本当に好きでたまらなかったのです。

私の高校では、世界史の教材は、教科書と、用語集と、そして図解資料集の三冊でした。

どれほど好きだったかというと、この三冊をボロボロにしてしまうくらい読み返したことで、好きの程度がわかります。特に教科書は、表紙も何もかも取れてしまっていました。

資料集も、特に好きだった近代ヨーロッパあたり(ナポレオン時代や帝国主義時代)のページはボロボロでしたね。

テストが終わった後も、テスト期間中も、世界史の授業のない日も、いつも、漫画『世界の歴史』や、本屋で買った英雄の伝記を読んでいました。

なんであんなに好きだったんだろうか?

もうすでに高校の時から、教科書には載せられない、歴史の残虐な一ページに気づいていました。それでも、衝撃を受け、怒りを感じながらも、読んでいたような気がします。

しかし大学は法学部へ。将来のため、という世間の常識に気を遣った選択理由だったかな。

今考えれば、歴史などが授業である学部に行けばよかったと思っているのです。

将来就職や資格試験に有利だから、なんて俗っぽい理由ではなく、これほどまでに好きだった科目をもっと学べばよかったかな。

学者になどなれるわけでもないし、なる気もなかったけど、それでもいいから好きな勉強をしに行けばよかった。そのことを、今になって強く思います。

しかし今・・・・再び歴史の勉強好きが、大いに役に立っています。

それは、お気づきかもしれませんが、兵法や過去の戦略史を勉強しているからです。兵法や兵法の解説書に登場する過去の戦争や紛争は大まかにわかりますし、そこに登場する人物や王朝名、歴史的背景もある程度わかるので、とても理解しやすいのです。

高校の頃は、各時代の戦闘技術・装備・軍団編成・兵站などまで読んでいました。その一見役に立たないような知識が、今になって大いに役立っています。

本当に、熱中して取り組むと、無駄な経験にはならないのだな・・・と思いました。

学生の頃の勉強って、社会に出てから役に立たない、とよく言われているけど、私にとっては、その言葉は当てはまらないようです。

学校の授業の大きな意味として、自分の好きな分野を発見するキッカケになる。学校の授業という機会でなければ、世界史に目を向けることはなかった。

そして、学んでいて楽しいものを見つけたら、それがどんなものであれ続けること。利害や損得などは度外視して、とにかく取り組むこと。そう感じました。

テストで点数など悪くてもいいから、いい学校など行かなくてもいいから、好きな分野を見つけ、掘り下げる。

今は強くそう思います。

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