さんぜんと輝く白亜の『墨俣一夜城』に思う~記録することの大切さ

用事があって岐阜に行くことがありました。そこで、今まで一度も行ったことがなかった墨俣の一夜城に寄って見ました。

墨俣の一夜城とは、かの豊臣秀吉がわずかの手勢とともに3日足らずで砦を築いた、という言い伝えからその名前が付けられた小城です。

古来このあたりは交通の要所であり、織田信長は美濃国の斉藤家を攻める拠点として城を築きたいと考えていました。しかし柴田や佐久間などの織田家の重臣をもってしても築城は失敗。そこで秀吉(当時は木下藤吉郎という名前)が名乗りを上げて、野武士などのわずかな手勢で戦いつつ築城を成し遂げた・・・という話が有名ですね。

しかしこの話、ほとんど確証もないのです。実際にこの墨俣での築城が、稲葉山城(岐阜城)陥落に大きな影響を与えたかどうかも分かっていません。

『洲俣を制するものは美濃を制し、美濃を制するものは天下を制す』

と歴史の話の中では出てきますが、それも創作の過程でまことしやかに言われた可能性もあります。話を面白おかしくするため、後人が脚色をし真実を分かりにくくしたというのも、真実を分かりにくくしている理由の一つです。

現在歴史ドラマなどで墨俣に関するストーリー制作のよりどころになっている『武功夜話』も、「偽書である」という批判も数多くあります。

墨俣の話を歴史物語として見る私たちには、そのような論争はあまり関係ないのですが・・・。

・・・ここで考えてみたいのです。墨俣の築城という、歴史的に大きな出来事ですら、しっかりと記録していないと後にこのような疑問を生じさせるのです。

もちろん、墨俣築城に関する記録は、まったくなかったわけではありません。しかし後の時間・時代にしっかりと明確に伝えるつもりで記録をしないと、事の一部始終を明確に証明することにはつながらないのです。

覚書、というスタンスでは、後に続く人間の疑問に答えるのは役不足なのかもしれません。

このブログは労働紛争をいかに戦略的に戦うかを考えるブログでもあります。

考えたのですが、記録をするときは、のちにその記録が当事者を納得させるくらい説明能力を満たした書き方を心がける必要があるのではないでしょうか?

単なる日記であっても、その内容は起こった事実を証するうえで役立つかもしれませんが、信ぴょう性に欠けると批判されるかもしれません。

それならば、せっかく記録を録るならば、紛争時の当事者に説明するつもりで詳細に、信ぴょう性を増すような資料をも添えて記録していきたいのです。

そして己にとって都合の悪い事実も正確に記録すること。都合の悪いことを省くと、その点について信ぴょう性が低いと批判を受けることになります。

・・・墨俣の一夜城に限らず、歴史には数多くの謎が存在します。労働紛争を戦う私たちは、歴史のその点から正確に記録を付けることのたいせつさを学ぶことが出来るのではないでしょうか?

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