ブラック企業との戦いは重大事。正に「兵は国の大事なり」。
ブラック企業との戦いは、労働者の家計に深刻な影響を与える重大な事件となるでしょう。戦う選択をしたがゆえに従業員の地位が脅かされれば、収入源も危うくなるからです。
「孫子の兵法」中で孫武は、”「兵とは国の大事なり。」(軍事とは、国家の命運を決する重大事である。)”と説き、戦いが当事者に及ぼす影響の大きさを真っ先に説いています。 ※浅野裕一訳・孫子・第31刷・講談社学術文庫・2009年4月・17p~19P
「兵」(軍事)を「ブラック企業との戦い」ととらえれば、この教えは私たちに大変有益な教訓となるでしょう。
憎しみの応酬となりがちな労働紛争では、頭でこの教訓を理解していてもなかなか活かしきることはできません。この教訓を活かすために、私たちが心掛けることは何でしょうか?
それには、なぜブラック企業との戦いが家計に深刻な影響を与えるのかを改めて学び、「大事」を乗り切るための対策を知ることが有効です。このページで詳しく説明していきたいと思います。
労働紛争は、大国が小国をいたぶる仁義なき「戦争」の典型例
採用の段階から、力関係に影響がでてくる
労働者と使用者(使用者)は、日本国憲法や各種の労働関連法では、『対等』だと言われています。しかし、果たして本当にその理念や理想が、浸透しているのでしょうか?
この大きな疑問について、多くの人は首をかしげると思います。ましてや、会社と労働上のトラブルと経験したことのある人は、その理想がいかに空しいことであるか、身をもって知っていると思います。
使用者と労働者では、力の差があるのは当然です。それは採用の段階から見ていても分かると思います。貴方が会社に入社する時、どれほど入社希望の会社に、礼を尽くしたでしょうか?
会社には「採用の自由」が保障されています。そのため、労働者が会社に入る時から、腰を低くし、会社の提示する不満に満ちた内容にも黙ってサインをさせれられるのです。
そこで、力関係はある程度決まってしまいます。物事は最初が肝心、といいますね。採用の段階でも、すでに不平等な扱いを受けるための布石をこの現代社会では打ち付けられるのです。
布石は、精神的な優劣感を生み出し、また、「労働契約」という書面上の形式的で確証的な形で、優劣関係を決定づけられます。
生活を依存している弱みからくる、強迫観念的な力関係
入社する時に、徹底的に忠誠を誓うことを強制させられ、「採用してあげた」という一見善意にあふれた恩を着せられ、力関係に大きな形を作った後で、次にやってくるのは、「生活をしていくうえでのやむにやまれぬ服従」です。
ほとんどすべての労働者は、会社の給料以外で入ってくる収入がありません。ですから、会社をクビになってしまっては困るのです。だから会社がどれだけ理不尽なことをしても、黙って従うしかありません。
「転職すれば?」と思うでしょうか?皆、会社員であると、なぜだか「安定している」と考えてしまい、給料収入をあてにして様々な借金(ローン・支払い)をしてしまいます。ですから、少しでも給料が下がったり、給料をもらえない期間があると、家計が破たんするか、血なまこになって蓄えたお金を使ってしまうのです。だから転職もできないし、会社に目をつけられるような危険なこともできません。
「不当なことには『NO!』と言えばよい」という考えだけでは、太刀打ちできない
書店には、労働基準法の詳細を書いた本がたくさん並んでいます。それらの本は非常に分かりやすく、かつ正確です。
しかしこれらの本を、うまく使うべきだと思います。その本の通り会社に労働者の権利を主張するのは、有効なやり方でしょうか。
会社と戦うには、どういう権利があり、どのように権利を主張するべきか、を知ることは非常に重要なことだと言えます。労働法で定められている細かい権利を知らなければ、確かに的外れなことを要求してしまい、逆襲を受け恥をかくかもしれません。
しかし、労働法上の正確な知識を知るよりも大事なものがあると思います。それは、会社と戦う時に労働者自身を支える、大きな後ろ盾であります。
それは、収入が絶たれても家族を養っていけるだけの臨時的な収入であったり、戦いのさなかに労働者を職場の孤立から守る仲間であったりします。
「使用者と労働者は実質は平等でなく、力も労働者が圧倒的に弱い」と認識して、その力の差を少しでも埋めるよう時間を使うのが最優先課題
労働基準法の詳細本を読みこなすのも重要ですが、少しでも労働者側の勝算を上げるための努力に専念してもらいたいです。
労働法の知識の不備は、専門家を利用することで最悪補うことができるが、紛争最中の経済的・精神的な支えを得ることは、専門家に頼むことはできません。
勝算を上げるための努力とはいったいどんなものであろうか?大まかに挙げると、以下のものが考えられるでしょう。
- 紛争期間中の家計を支える給料以外の収入
- 家族の、心の底からの協力
- 労働者自身の健康
- 労働者自身の、日ごろからの会社内での誠実な態度
- 会社の不当な行為を証明するための、確かな証拠
- 紛争中に労働者を孤立から守る、協力な後ろ盾(労働組合など)
- 労働法の知識
会社と戦うことを決意したならば、まず以上のものを少しでも多く身につけるのです。そこに、労働者が使用者に打ち勝つ勝機が生じるのです。
以上に挙げた事項を何も準備せず会社に宣戦布告したのでは、勝算のほとんどない戦争に自ら突撃するようなものです。
「兵は国の大事なり」を労働紛争に活かす。勝算をはかる5つの判断要素。
兵(戦争)は家計の一大事であることを認識する
以上で述べたことは、古来より兵法で言われています。
東洋・西洋を問わず、定番の兵法とされている『孫子』では、戦争などの軍事ごとは国家の一大事である、と論を展開しています。有名な、「兵は国の大事なり」です。
「兵」の代表格たる戦争は、多くの人間の命を奪います。国土は戦場と化し、田畑は荒れます。軍隊の食糧を維持するため、国民は苦しい重税に悩み、国内の不満がたまり、国力が衰えるキッカケを与えます。
いい例が、中国の元王朝。盛んな国力に物を言わせ、多くの遠征による隣国との戦争を繰り広げましたが、それにより財政は窮乏し国民は重税に苦しみました。財政を立て直すための紙幣の乱発が内政の混乱を招き、農民の反乱を引き起こし、滅亡への道を歩みます。
家計を国家と見立ててみれば、言わんとすることはわかると思います。
財政的に弱小な(給料しか収入の手段がないから)家計という国家が、会社と戦うことになったらどうでしょうか?会社の収入は家計の収入の比ではありません。それに加えて、専門家などの人的資源にも恵まれています。いわば、金と人が豊富な、大国だと言えます。
小国が何の準備もなく、事前に勝算を見極めず、無計画に戦いを挑めば、結果はどうなるかは明白であります。
よって『孫子』は、重大な結果を招く戦争(労働紛争)については、事前に深く考慮する必要がある、と説いています。そこには、労働者個人の願望はあってはなりません。客観的に厳格な判断基準のもとに分析し、その分析結果に素直に従う必要があります。
『孫子』の一番最初にこの教えを持ってきたということは、このプロセスが戦う上で基本中の基本だと考えている節があります。
孫子兵法では、その分析の判断基準として、5つの事項を挙げています。それを労働紛争にあてはめながら考えてみましょう。
考慮すべき五つの基本事項
道
国民の気持ちが、国家の意思と同化していること。国民の気持ちが同化していれば、命を投げ出す勇敢な兵士となることも考えられます。また、国民の戦争に向かう気持ちがなければ、戦争を遂行する上での重税等について、不満がたまりやすくなります。国家の財政の根幹を支える国民の気持ちが国家意思体と同化していることは、非常に重要だと言えます。
労働紛争の場合も同じであります。
経済的な緊急事態を招く労働紛争では、緊急事態によって我慢を強いられる家族(特に配偶者)の協力は欠かせません。
気持ちの一致により、より一層の倹約に励むことができます。また、貯金の切り崩しを招いたとしても、家族の理解があれば、紛争に集中できるのです。
紛争時は精神的に厳しいことが多いはずです。厳しい毎日の中で心から協力してくれるのが家族であれば、どれほどの勇気と自信・集中力が生まれるでしょう。
天
外的な気候条件などのことです。『孫子』は、「天」と言ってはいるが、”神”とか”天の意思”などを述べているのではありません。
『孫子』の中には、神秘めいた条件による判断基準は存在していません。古来まれにみる、徹底した合理主義なのです。
労働紛争では、時節、戦う時期について考察してみましょう。
労働紛争を遂行する上で、紛争に集中しやすい時機というのがあります。例えばお子様がいる家計では、不当な行為に直面していても、子供の進学時期には権利の主張を少し控える、などの考察も必要です。家計のより一層の倹約をできないときに、労働紛争を起こすのは危険だと言えます。相手方から仕掛けられない限り、避けるべきです。
労働者は、会社と戦うときは紛争の継続力の確保と勝算の強化こそが最も重要だと言えます。紛争に踏切る時機というのは、とても大きな要素なのです。
地
戦場の地形の状態による、有利不利の問題のことです。『孫子』では、地形の考察についても非常に現実的な判断基準をするべきことを説いています。そこには精神論や神がかり的な要素はありません。
地形、と聞くと労働のトラブルにはあまり関係がなさそうであります。しかし少し強引にあてはめてみましょう。
裁判となると、裁判所の管轄の問題もあります。戦うべき会社の本社がとても遠い場合も考えられます。そういった場合、交渉の時現地に自ら赴くか、現地の専門家に依頼するか、などの不便さによる出費も考慮に入れなければなりません。
またその事業所が地方の小さい町であったならば、その町で噂が立ってしまうようでは、これから先の日常生活に影響すら与えかねません。その場合は、穏便な戦法に変更して波風立てないように権利を主張することも合理的な判断です。
これらの要素は、各人の労働紛争によって全く異なるでしょう。紛争当事者の置かれた状況に応じて、どういった戦法をとるか、または戦うか戦わないかの判断を冷静にすべきです。
将
軍隊を統括する将軍(軍の責任者)のことです。戦争の勝敗を決するのは、軍の責任者たる将軍の能力にも大きく影響される、と『孫子』は説いています。
労働紛争において、家計という国家の軍を統率するのは誰でしょうか。それは闘う労働者自身です。
「兵とは国の大事なり」の個所では、将軍の資質として、智・信・仁・勇・厳の5つの要素を挙げています。
「智」とは、いかなる場合においても、冷静な判断・分析ができる能力。「信」とは、主君に忠誠を尽くし、誰からも信頼される人柄。「仁」とは、軍や自分の命令によって命をかける部下やスパイに気を配ることができる、思いやりの気持ち。「勇」とは、どんな状況にも恐れず、立ち向かう勇気の気持ち。「厳」とは、私情を排し、自分にも部下にも他人にも公平で厳格である様子のことを言います。
労働紛争では、時に考えられないほどの見え透いた嘘や脅迫、不当な扱い、イジメが行われたりします。その状況に置かれても、その都度ごとに冷静な判断をしなければなりません。紛争を継続するに当たっては、周りの同僚の支えもあった方がいいでしょう。誠実な人柄であれば、たとえ表だって協力してくれなくても、精神的な支えが得られます。
紛争継続中は家族や同僚に多くの我慢をさせるかもしれません。そういった身近な協力者に気を配ることは、紛争を継続する上で重要なことです。卑劣な行為が行われ、イジメなどにあったとしても、胸を張って正当な扱いを主張するには、少なからぬ勇気が必要です。
そして正当な権利を主張するためには、平素から自分の行いに厳しくなければなりません。あまりに厳格である必要はありません。普通であればいいのです。そして今まで一緒に働いてきた同僚であったとしても、あなたの権利の主張に横やりを入れるようなら、厳しく接することも止むを得ません。そこでの私情は、権利の主張を中途半端に終わらせてしまうのです。
法
軍を運営するための、規則のことです。『孫子』では、より高度な戦術を駆使して相手国の軍隊を戦うためには、軍隊を統率する規則を厳格に適用して軍の運営をする必要があると説いています。軍隊内の規律がしっかり保たれていることは、戦闘において勝敗を分けうる重要な要素だと考えているのですね。
労働紛争においては、どのようにこの「法」をとらえてみましょうか。ここで述べてみましょう。
労働者にとっての労働紛争とは、「会社の行ってきた不当かつ違法な行為に、正当な扱いを求めて労働者が権利を主張する」というパターンがほとんどであります。
であるならば、主張する側は「正当」でなければなりません。労働契約で交わした職務を普通にこなし、労働者自身が会社に弱みを見せないことが必要だと思います。
思い当たるフシがあるなら、これ以後真面目に仕事に取り組むことです。普通であればいいと思います。
例えば労働者が平素より仕事をさぼり気味であったならが、権利を主張する段階に至った場合に、会社側の反論によりトーンが下がってしまう可能性があります。労働紛争時の労働者の気持ちというのは非常にデリケートなので、少しのことで動揺し、戦意を喪失する危険に絶えずさらされています。
ここで一つ言っておきましょう。権利を主張するには、仕事が有能である必要はありません。例え仕事が人並以下であっても、真面目に仕事に取り組んでいればいいのです。
「一人前でもないクセに権利の主張だけはするのか」と不合理なことを言う会社が多いですが、正当な扱いを受けるのに、一人前も半人前もありません。誰だって最初は仕事はできないのです。また、個人差はあるのです。会社には、労働者を育てる暗黙の負担があるのは当然です。それを放棄して居直るような考えに、悩んではいけません。
当ページ参照文献
- 孫子 (講談社学術文庫)※本文中の「孫子の兵法」の引用は、当書から引用しています。
- [現代語訳]孫子