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戦略的思考法:第2段階~敵と己を知る

ブラック企業との戦いにおける戦略的思考法の第2段階たる「敵(ブラック企業)と己(労働者自身)を知る」について、その意義と注意点を紹介していくページです。

「敵と己を知る」ことの意義

 まず言っておきます。己とは、もちろん「労働者自身」のこと。このホームページを真剣に読んでいる人は、ほとんどの方が会社等に雇用されて働いている労働者だと思います。ですから、「己」とは、労働者のこと。そして「敵」とはブラック企業たる会社・使用者・経営者・もしくは、会社のために事務等をする担当者です。

 敵と己を知ることはどの場面で役に立つのか?それは最終目的の修正や、作戦計画の立案において役立つと言えます。

 己と敵の置かれた環境・戦力の違い・労働紛争において戦力上昇につながる人材の有無がなどが、勝算の分析とそれに基づく最終目的の修正・中間目標の立案の際に揺るがぬ指針を与えるのです。

 古来より戦争では必ずと言っていいほど、派手な会戦の陰で実に数えきれないくらいの情報戦が繰り広げられているものです。それは、相手の実情を知ることが非常に重要な意味を持つからです。戦争とは、一回の衝突が大がかりなものになればなるほど、国家や主君の命運に大きな影響を与えてしまうもの。失敗は許されません。相手を愛するくらい観察し、そこで判明した君主の性質や軍隊の弱点・会戦に適した地形情報・経済的な戦争継続能力などを手掛かりに、勝利へのシナリオを組み立てます。

 「敵と己を知る」ことは、「最終目的の設定」と同じく、労働紛争の戦略的思考の土台となるものです。このふたつがなければ、効率的な道筋をなくし、感情的で無計画な行動を招き、多くの物質的・人的・精神的損失を招くことになるでしょう。

 「敵と己を知る」具体的な方法については、以下のページを参考にしてください。

「敵と己を知る」ことのむずかしさ

「敵を知る」ことのむずかしさ

 以上では、自分と相手を知ることの意義について述べてきました。

 労働紛争を戦うための事前の情報収集・・・非日常的で劇的・スリリングな言葉ではありますが、その実践は容易ではありません。相手(会社等)の情報を知ることは、当然のことながら相手の懐の中の事実を探る行為であるがゆえ、多くの困難を伴います。そして何より、心に猜疑心や謀略心を持っての会社生活となるため、精神的に辛いことが多くなります。

 しかし相手を知る上では、自分自身も多くの行動を起こさないといけません。相手を知るには、今までと違った行動が必要なのです。待っていては何も起こらないし、何も得ることはできず、ただ相手の不当な行為の餌食となるばかりです。

 ではその行動として、どのようなものが挙げられるでしょうか?代表的な行動を参考までに以下に挙げましょう。

  • 不当な行為の内容を記録すること。ノートが基本。説得力を持たせるため、イジメの過程で渡された通知文・いたずら書きの元本を確保、叱責内容の録音など。相手のしてくる行為を客観的に「知」っって、のちに分析資料として残す。
  • どの行為が法的に責任を問えるのか?また請求できる内容はどんなものか?自分がされている行為は違法性があるのか?を判断するために、自ら学び、かつ専門家に相談する。相手のしている行為の違法性の有無を「知る」ために学ぶ。
  • 昔から会社にいる人の中で、人間的に信頼できる人に話を伺い、使用者の性質をある程度判断する。できることなら、会社を退職して間もない人がいいでしょう。当該使用者が今まで労働者にしてきた不当行為の内容やその程度・結末・非情さの度合いを「知る」ことで、現実的な解決策の立案に役立てることができる。

 他にもいろいろと、「知る」ための行動は考えられます。紛争の形態によっても、とるべき行動は違ってきます。あなたの例に合わせて、具体的に頭の中で考えて、書き出してみるといいでしょう。

「己を知る」ことのむずかしさ

 自分を知ることは、相手を知ることよりも容易だと思われがちです。しかし「自分を知る」過程では、大きな注意が必要となります。

 自己と向き合う作業は、実は多くの苦痛を伴うものです。自己の現状が望ましくない状況であればあるほど、痛みの度合いは深くなります。

 労働紛争を迎えるにあたって貴方が自己を分析し始めると、いかに自分が紛争を乗り切るための力が無いかを思い知るでしょう。その絶望感を想像してみて下さい。

 会社側の行為がいくら許し難く、そしてその行為によって自分ばかりか家族までもが影響を受けるのを目の当たりにしても、横たわる現実(会社側と戦うためには、自己はあまりにも非力である、という現実)は決して変わらない。その過酷な現実を見つめることから始めなければならないが、その現実を見つめ、以後の行為のスタート地点として接し続けるのは本当に屈辱的で苦しい。

 そしてその苦しさに耐え切れなくなり、現実を直視できなくなり、我に都合のいいありもしない願望を、いつしか事実として認識するようになってしまうことが往々にあるのです。

 でも願望は事実ではありません。願望のままに冷酷な会社側が動いてくれることなどあり得ません。願望を事実として、その上に練られた目標や具体策などは、紛争解決の方向から大きくそれたものとなるが常であり、そこに解決への希望はいささかも見出せないのです。

「敵と己を知る」ことについて、兵書のたぐいはどのように述べているのか?

 『孫子』の兵法では、「敵情を知って身方の事情も知っておれば、百たび戦っても危険がなく、敵情を知らないで身方の事情を知っていれば、勝ったり負けたりし、敵情を知らず身方の事情も知らないのでは、戦うたびにきまって危険である。」【金谷治訳・新訂 孫子 (岩波文庫)】と述べて、相手と自己の現状を知ることの重要性を述べています。

「敵と己を知る」ことの大切さを表す図

 古来より「戦争」という行為は、決まってその場での偶然性に大きく左右されるものです。それによって、勝敗の行方が左右されることも、たびたびあるのです。

 よって、劣勢であったとしても、相手の軍隊の運用方法のマズさに助けられたり、決断の結果、相手にとって有利な状況を作り出し、形勢を逆転されてしまうこともあります。天候や外国諸国の干渉等が事態を大きく変えることもありますね。クラウゼヴィッツも著書『戦争論』の中で、「いろいろな人間活動のうち、戦争ほど不断に、かつ、あらゆる面で偶然と接触するものはない」【淡徳三郎訳・『戦争論』(徳間書店)】と述べているほどです。

 よって『孫子』も、敵を知り己を知っていても、必ず「勝つ」とも述べず、敵を知らず己を知らずとも、必ず「負ける」とも言っていないのでしょう。

 しかし、戦争において大きく「偶然」が存在するからといって、事前の準備(ここにおいては敵情の分析や自己の現状の客観的な把握を怠ること)を容認しているわけでは決してありません。その努力を怠るものは戦うたびに必ず「危険」に陥いると述べ、行き当たりばったりの不準備な状態で戦争に望むことを厳しく批判しています。

 さきほども触れたように、『孫子』では敵と我の客観的状況を熟知して、その現状に見合った行動をとっても、「必ず勝てる」とは言っていません。「百回戦っても、危険に陥ることはない」と言っているだけです。しかし「敵を知らずして我も知らず」は、「必ず危険な状況に陥る」としています。労働紛争においては、その紛争の陰に、多くの場合かけがえのない家族が控えているはずです。その状況での一か八かのギャンブルは、ふさわしいはずがありません。

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