「同僚らが見て見ぬフリをして助けてくれない」の原因
ブラック企業に労働者が泣き寝入りしてしまう原因の一つに「同僚らが見て見ぬフリをし助けてくれない」という原因があります。このページでは、なぜ同僚らは見て見ぬフリをするのか?の理由を探っていきたいと思います。
勇気を出して立ち上がった時の、冷たく残酷な現状
不当な行為に対して立ち上がることは、とても尊いことだと思います。それは私の信念でもあります。また、不当な行為を目の当たりにし、被害を受けたことがあったり、または被害を受けた人の気持ちに触れたことのある人は、そう考えるでしょう。
では立ち上がった時、周りの同僚は立ち上がった労働者を支えてくれるでしょうか?その答えは完全に「NO」と言えます。
立ち上がった労働者を取り囲んでいた仲のいい同僚らは、立ち上がった日を境にして周りからいなくなります。それは多くの労働紛争において顕著に見られる傾向なのです。
周りから居なくなり孤立するだけなら、事態はマシな方だと言えます。紛争状態になると、孤立するだけでは収まりません。立ち上がるのと同時に、経済的な制裁・陰湿な嫌がらせ、そして会社員の地位すら脅かされることになります。
これは脅しではありません。現状に起こりうることであり、実際に多くの労働紛争がその結果を招くのです。
孤立した状態で仕事をすることは、その人自身の心の健康を根底から打ち崩し、害し、家庭の平穏すら蝕みます。これは立派なイジメであり、その悲劇は深刻です。一人の人間を、皆で無視し時に攻撃し、その場に居られない状態に追い詰めていきます。
同僚らが見て見ぬフリをする「2つの原因」
なぜこのような悲劇が起こるのか?なぜ、分別も常識も備えたいい大人が、このような卑劣でむごいことをするのか?その原因としては、大きく二つのものがあると思います。
- 給料をもらうことで生活が成り立っているため、肩入れして従業員の地位を失うことが怖いので見て見ぬフリをする
- 「働かせてもらってる」「大人なんだから」と考えてある程度の我慢は当然だと思い、勇気をもって立ち上がった労働者をマイナスの感情で見る
致し方ない理由だとお思いでしょうか?私は全くそのようには考えません。使用者の不当な仕打ちにさらされている労働者の盾となれ、とは言いません。しかし「少なくとも自分だけは使用者と一緒になって攻撃しないでおこう」と考え、実践することはできるハズです。以下でこれらの理由について見ていきます。
給料をもらうことで生活が成り立っているため、肩入れして従業員の地位を失うことが怖いので見て見ぬフリをする
多くの労働者は、「自立している」と言いながら、ほぼすべての生活費を会社からもらう給料でまかなっています。それがどれほど経済的に自立していると言えるだろうか?会社から解雇を宣告され次の働く場所が見つからない場合、どれだけの時間を無収入で過ごすことができるだろうか?
多くの人は真っ先に失業保険をアテにすると思います。しかし失業保険は、仕事をフルでしていた時の55%~80%にとどまります。多くの人は、会社からもらう給料とほぼ同額の生活費がかかります。失業保険は貯金の減少を緩和するだけであり、根本的な不安の払しょくにはなりません。仕事を失った後の潜在的な不安を、誰もが恐怖とともに持っているのです。
新たに会社を変わり、人間関係や仕事に慣れるまでの面倒くささを誰も味わいたくない、という気持ちも同僚らは強く持っているでしょう。人によってはこちらの感情の方が強い方もいます。人間は慣れきった環境を変わるのに想像以上のストレスを感じる生き物だと言われています。その性質が、苦境に立たされた同僚を見捨てる行為につながるのです。
この世の中で自分の家族や慣れた生活を犠牲にしてまで、人に救いの手を差し伸べる人間はどれほどいるでしょうか?皆、自分の身の安泰を第一に図るものです。救いの手を差し伸べても、自分の安全が守られる範囲内でしかその人と関わろうとしません。
いつも重い荷物を持ってくれる心配りがあるから、その人が「窮地で助けてくれる人」ではないのです。また、ささやかな悩みをいつも聞いてくれるから、その人が「窮地で助けてくれる人」ではないのです。さりげない心配りなど、誰でもできるものです。さりげない心配りを見せてくれる人ばかりの職場だからといって、その同僚たちが労働紛争の中の孤立から労働者を守ってくれるでしょうか?そのような幻想と甘い期待は、ただちに捨て去らないといけません。
「働かせてもらってる」「大人なんだから」と考えてある程度の我慢は当然だと思い、勇気をもって立ち上がった労働者をマイナスの感情で見る
「働かせてもらってる」「大人なんだから」と考えるのは大いに自由なことです。そしてその考えのもとにヤル気を出し、会社の発展に貢献しようと考えることも、その人自身の自由だと思います。
しかしそういう職業観が、「社会人はこうあるべきだ」とか、「活躍の場を与えてもらっている」、「会社に評価されたい」という強い気持ちを結びついた時、所属する会社に必要以上に依存し、会社の行為のすべてを黙認する行為につながります。
同僚が不当な行為に立ち上がった時、その行為を支持するのではなく攻撃するのは、依存状態の産物と言えるでしょう。
労働紛争の孤立の中でよく言われる言葉を挙げておきましょう。不当な行為に苦しんだ経験のあるあなたは、以下の言葉に似たものを周りの同僚・上司から言われたことがあるかもしれません。
- 「社会人なんだから、どんなことがあってもある程度我慢するのは当然のこと。皆、我慢してるんだから。文句があるなら辞めればいい。」
- 「働く機会を与えてもらっている。この不景気ではどこも働かせてもらえない。だからしがみつくしかない。」
- 「会社にもそのことをしてくる理由がある。だから自分のわがままばかり言うのは間違っている。」
これらの言葉は、立ち上がった労働者を泣き寝入りに追い込む非常に危険な言葉です。これらの言葉を浴びせられた労働者は、孤立無援の絶望を感じ、気持ちが折れ、そして自ら職場を去っていきます。
言っている本人たちは、去った労働者について何の惜別の念も、申し訳ないという気持ちも持ちません。社会に順応できない人間が、当然の結果として去って行った、としか捉えません。いずれ我が身にも降りかかることを知りもせずに。
そういう態度を採り続ける人間たちばかりが会社に残り、立ち上がる気概のある人間はその会社から消えていきます。大がかりな解雇等のリストラが吹き荒れる時、彼らは立ち向かうべき中心人物不在の中で、なすがままにされていくのです。
「同僚らが見て見ぬフリをして助けてくれない」の対策 では、これらの現状と原因に対する対策を述べていきたいと思います。
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